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第76話
第76話
ヴァッティング
早いもので今年もあと残りわずかとなったが、この時期になると思い出すのがウイスキーの品質をチェックするためのテイスティングである。2,000~3,000種類のサンプルをテイスティングして、それぞれの特徴を把握していくのだが、時折、面白い個性を持つウイスキーに遭遇することがあった。中にはキーモルトにするには個性が際立ちすぎるものもあり、時に“どれを外そうか”という視点でテイスティングしていくこともあり、いずれにしても根気が要る作業であった。
皆様もご存知のとおり、テイスティングは香りを嗅ぎ、時には味をみて、そのウイスキーの特性を確認するものである。これは持論だが、精神的にピリピリしていると正確な判断が鈍ってしまうと思う。酒席などで楽しく会話しながら飲んだり食べたりすると、酒も食べ物も美味しいと感じるが、忙しくて慌しく食事を取ったり、不機嫌な気持ちで食卓についてしまっては、どんなご馳走が出てきても味気ないものである。楽しくテイスティング、とはいかなくても、心静かにウイスキーと対話するような気持ちでテイスティングすることもブレンダーの役目ではないかと思う。
ブレンド(またはヴァッティング)という作業は、継続的に商品化するものと、『シングルモルト余市1988』[※]のように数量限定で商品化されるものがあるが、どちらをブレンドするにも多くの人たちに好まれるタイプの商品に仕上げることが大切である。中には異端な味わいのウイスキーを好む方がいらっしゃるが、そこには好奇心のようなものが介在しているのではないかと感じるのである。例えば、アイラ島のモルトウイスキーはピートの香りが強く、刺激的な味わいで好き嫌いがはっきり分かれるひときわ個性的なウイスキーだ。
アイラ島は日本の淡路島くらいの面積で、平野部の大部分がピートに覆われ、多くの小さな湖や川がある。ピートは昔から一般家庭用の燃料としても使われ、蒸溜所では麦芽の乾燥ばかりでなく、蒸溜時の燃料にも利用されることがあり、ウイスキーに独特の香りをもたらす。海藻やヨードチンキに喩えられる香味に慣れ親しんだ人たちにとっては、その個性が格別なのだろう。
まだアイラモルトが現在のように知られる前、1987年に『ピュアモルトホワイト』(当時は特級)が発売された。アイラ島のヘビーピートタイプのモルトを主体にしたピュアモルトで、強烈な個性を損なうことなく、日本人の感性に合った味わいを実現させたものである。しかし、まだ個性的なモルトウイスキーが珍しかった時代で、慣れない香りや味わいに驚かれた消費者の方々から、「なぜこんなに煙臭いのか?」「どうしてこんな味がするのか?」など様々な問い合わせがあった。対応に追われた社員はさぞかし大変だったに違いない。それから約20年、ピーティーなモルトウイスキーが珍しくなくなったということは、モルトウイスキーの認知度が高くなったということであり、とても喜ばしいことである。
また、『ピュアモルトホワイト』は、宮城峡モルトを主体とした女性的で柔らかな味わいの『ピュアモルトレッド』と、余市モルトを主体とした男性的で重厚な味わいの『ピュアモルトブラック』と並ぶ個性派ウイスキーで、それぞれ別に味わうことはもちろん、好みにあわせてヴァッティング(混ぜ合わせ)して楽しむことも出来る。自分だけのオリジナルウイスキーをつくってもいいし、ウイスキー好きの友人に振舞って、感想を聞かせてもらうのも面白いのではないだろうか。
アイラ島は随分前に訪れたことがある。当時は毎週一回、島の公民館のような場所でダンスパーティーが開催。「日本人がやって来たのは珍しい」とパーティーに連れて行かれ、ダンスの輪に加わったことがあった。伝統的なスコットランドに伝わる踊りで、とてもにぎやかである。彼らはなかなか帰してくれず、バーへ行くと次から次へとウイスキーが出てきた。やっと開放され一夜明けると「日本のウイスキー会社がアイラ島の蒸溜所を買いに来たと島中の噂になっている」と聞かされた。私は蒸溜所を買うために行ったのではなかったのだが、どこでそんな話になったのか今でも理由はわからない。
昔、私がスコットランドを訪れていた頃は、日本のウイスキーを持って行っても絶対に褒められることはなかった。彼らの口からは「これはスコッチではない!」の一言ばかりだったが、今やジャパニーズウイスキーは受け入れられ、高く評価されている。素晴らしいウイスキー時代が到来したと感じている。
[※]モルトウイスキー同士を混和するのは「ヴァッティング」。『シングルモルト余市1988』は、余市蒸溜所でつくられたモルトウイスキーだけをヴァッティングしています。