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第63話

第63話

カフェ式蒸溜機

今年も『竹鶴35年』が発売されることになった。余市モルトと宮城峡モルトに35年貯蔵グレーンをブレンドしたもので、発売が決まると私のところにラベル1,200枚がどっさりとやって来る。

1枚ずつ署名をするのが恒例になっているのだが、署名をしながら「このウイスキーはどなたの手元に届くのだろう」と思いを馳せることがある。つくり手は、より良いものを味わっていただきたいという一心でつくるばかりで、商品を手放すと、そのウイスキーが何処へ辿り着くのかほとんどわからない。ただ飲んだ方が満足してくだされば、つくり手も、そしてウイスキー自身も喜びを感じるものである。

さて、11月22日には日欧同時に『シングルカフェモルト12年』が発売される。カフェ式蒸溜機によるこの100%モルトウイスキーは、穀物由来の香味成分が蒸溜液に残るため、バニラのような甘さを持つ口当たりの良い味わいに仕上がっている。

欧州での販売を引き受けているのはフランスの商社「メゾン・ド・ウイスキー」。ここでは『フロム・ザ・バレル』も扱っているのだが「もしかしたら日本より(フランスのほうが)売れているのではないか?」といわれるほどフランスでは人気があるようだ。無粋な話になるが、『シングルカフェモルト12年』の価格は日本では8,400円だが、欧州では109ユーロ(1ユーロ=約165円換算で約18,000円。日本価格の2倍以上)と、決して安いものではない。果たしてどのような展開になるか気になるところである。

この「カフェモルト」を蒸溜したカフェ式蒸溜機は現在、宮城峡蒸溜所にあるが、1998年以前は西宮工場に設置されていた。今回の『シングルカフェモルト12年』は、カフェ式蒸溜機がまだ西宮にあった頃につくられた蒸溜液を使ったものだ。カフェ式蒸溜機は極めて旧式な二塔式蒸溜機で、麦芽やとうもろこしを原料とした糖化液を発酵させ、この蒸溜機で蒸溜するとカフェグレーン原酒が出来る。効率が劣るため、穀物由来の香りや成分が蒸溜液の中に僅かに残るが、それが豊かな香味のウイスキーを生み出す要因にもなる。

政孝親父とカフェ式蒸溜機の導入のためにスコットランドへ出かけたとき、古典的な四角い形をしたものと楕円形のものがあった。売り手も政孝親父の性分を承知していて、古めかしい上に値段が高い四角を選ぶと踏んでいたようだ。四角い形は、昔は銅ではなく木を組み立てて蒸溜設備をつくっていたので、その名残りといわれている。

蒸溜機に運ばれるもろみは酸が強いため、長く使用していると銅板に穴が空いてくる。そのため毎年のように薄くなったり、穴が空いた部位の銅版を取り替え、何度もメンテナンスを行っていたので、宮城峡蒸溜所へ移動する頃には、ニッカウヰスキー独自のカフェ式蒸溜機になっていたといえるだろう。

ところで。西宮にカフェ式蒸溜機があった頃、蒸溜したグレーン原酒を熟成させる貯蔵庫が必要になり、麻布工場を売却して栃木県喜連川に土地を購入し、栃木プラント(現・栃木工場)を建設することになった。麻布工場の敷地内には、かつて乃木希典将軍が誕生の折、水を使った井戸が残り、木々に囲まれた由緒ある毛利庭園には鯉が泳ぐ池もあった。

麻布工場の売却の話が持ち上がったとき、政孝親父は「私は賛成とは言いません。しかしノーとは言わない」と答えた。思い入れの深い土地を手放すのはさぞ残念であっただろうが、ウイスキーづくりのためである。そして、栃木プラントは1977年、完成したのである。

約8万坪の畑と山林で「弥五郎の森」と呼ばれるトチの森林に囲まれた大変環境の良い土地で、政孝親父も「ここならば」と納得した場所であった。栃木は「雷銀座」のようなところで、各貯蔵庫には数本の避雷針が設けられている。避雷針は保護しなければならない建築物の先端部分に設置するのだが、雷を呼びやすい性質があるので、宮城峡蒸溜所では鉄骨を土の中に埋めてアースの代わりにしており、一度も落雷被害に遭ったことがない。

2000年の秋、栃木プラントに今は亡き宇野 正紘 氏(元ニッカウヰスキー社長)がアメリカから取り寄せたホワイトオークのどんぐりが植えられた。このどんぐりが成長して樽材として使えるようになるのは、まだまだ遠い先の話である。ウイスキーづくりは途方もない歳月と手間を要するものだが、だからこそ、味わいがより深いものになるのだ。