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第46話

第46話

出張といえば、意外であろうが沖縄にもたびたび出かけることがあった。

ここ数ヶ月、出張が多く、四国方面は、松山、高松、高知、徳島を訪れた。まるで八十八札所巡りのようだが、それぞれ一旦東京に戻り、日を改めての日程だったのでゆっくりと歴史に触れる時間はなく、少々残念であった。

四国には史跡や旧跡が多く、自然も豊かな土地であるが、中でも面白さを感じたのは食文化だった。鯨の下顎から腹部にかけての縞状の部分を「畝須(うねす)」と呼ぶ。畝須を燻製加工したのが鯨のベーコンだが、この部分を醤油で煮て味付けしたものや、高知の方言で「のれそれ」と呼ばれる穴子の稚魚、同じく方言で「どろめ」と呼ばれるイワシの稚魚など、文字通り珍味尽くしである。どろめは、海底の浅い泥の中に目だけを出しているところから、こう呼ばれているそうだ。

まさか、食べられると知らなかったのが「虎杖(イタドリ)」の茎であった。イタドリは多年生草本で、茎が太く、内部は空洞になっている。春に出始めた茎を折り取り、生食したり、漬け物にしたりするそうだ。見た目は緑色で、料理して器に盛られていると蕗に似ている。茎を折るときに、ポコンと音がして、口にすると酸味があるので「すかんぽ」とも呼ばれているらしい。戦時中、葉を干して煙草の代わりにしたのを思い出した。

四国は、実は、政孝親父と縁が深い場所でもある。政孝親父の父である敬次郎は、愛媛県から竹鶴家に養子に入った。昔は、養子という制度はさほど珍しいことではなく、長男、長女がいる家でも養子を取ることがあったらしい。

出張といえば、意外であろうが沖縄にもたびたび出かけることがあった。昭和36年、琉球ニッカウヰスキー株式会社を那覇市に設立。当時、沖縄は酒税が安く、輸入ウイスキーが比較的多く消費されていたこと、沖縄で生産されたものは酒税が本土より2割安いということから、那覇市に小さな瓶詰め工場を造ったのである。酒税が安いのは、その当時沖縄は、アメリカ軍の管理下に置かれており、様々な保護政策があったからだ。反面、税法上、ここで詰められたウイスキーを本土に持ち込んで販売することは許されなかった。

今でこそ「沖縄といえば泡盛」といった感があるが、当時は、ウイスキーがよく売れた。昭和50年には、沖縄海洋博覧会が開催されるということで、道路やホテルなどが整備され、繁華街も広がり、ますます活気が満ちるようになった。それにしても沖縄というのは実にエネルギッシュな土地である。私はあまり詳しくはないが、歌手の安室奈美恵さんや女優の仲間由紀恵さんも沖縄出身のようだ。

先に、四国の食文化について書いたが、長寿の島と呼ばれる沖縄も独特の食文化を持っている。ゴーヤー、シークァーサー、黒糖など、「健康に良い」と言われる食材はどれも沖縄のものである。ゴーヤーは別名を「ニガウリ」、正式名称を「ツルレイシ」というウリ科の植物で、ビタミンCが豊富に含まれている。あの苦味のため、とっつきにくい野菜だと思われることもあるが、慣れると病みつきになる辺りは、どこかウイスキーに似ているような気がしないでもない。シークァーサーは、沖縄北部のヤンバル(密林地帯)などに自生するミカン属の柑橘系果物で、ビタミンC、ビタミンB1、クエン酸、ノビレチン(柑橘類に含まれるフラボノイドの一種)などを多く含む。

そんな沖縄で、よく売れたウイスキーは『ハイニッカ』などの2級ウイスキーであった。その後、税法上の優遇制度が続いたことから、次第に輸入ウイスキーが飲まれるようになり、焼酎ブームを経て、今は泡盛の全盛期のようだ。

長年、酒類業界にいると、色々な変化があったものだなぁと様々なことが思い出される。これからもより多くの皆様にウイスキーの魅力を知って戴くために働くことが出来れば幸いである。