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第97話

第97話

余市蒸溜所

今年もあとわずかを残すところとなった。この間まで猛暑に辟易していたと思いきや、月日が経つのは早いものである。

余市蒸溜所は雪景色であろうか。この時期になると、リタおふくろが、帰りが遅くなった私を心配して「橋の欄干から川に落ちたのではないか」と心配してくれたこと、雪が屋根から落ちる大きな音に驚いて目が覚めたこと、「禿げ頭が寒いから」と政孝親父が手ぬぐいを頭に巻いて寝ていたことなど、いろいろなことが懐かしく思い出される。

余市の山田町の家にあった石炭ストーブも、そのひとつである。真っ黒な色で石炭をくべて炎が上がると、「ボォー!」と音がしてストーブが赤くなる。デレッキという火掻き棒で石炭をガチャガチャと“かます”と炎の勢いが増す。今は室温を細かく調節できる便利な暖房器具があるが、石炭ストーブはそうはいかない。たまに石炭を激しく燃やしすぎて“温かい”を通り越して“暑く”なることもたびたびであった。外は雪景色、室内では浴衣でビールも大袈裟ではない話なのである。

燃料の石炭にも“松竹梅”があり、値段が高いものはやわらかい温かさがあるが、安価なものは温まるのが遅かった。石炭が燃える匂いもまた、懐かしい冬の思い出である。余市蒸溜所では伝統的な「石炭直火蒸溜」を行っているが、こちらも火加減が大変難しい。しっかり焚けるようになるまで10年かかる
骨の折れる作業であるが、この手間が、力強い余市モルトを生み出すのである。

余市蒸溜所といえば、雑誌などで蒸溜所が紹介されるとき「一号貯蔵庫」の写真が掲載されることがある。当時、余市川の中洲にあった貯蔵庫は、床は土のままで適度な湿度が保たれるように、外壁は石づくりで夏でも冷気が保たれるように設計されている。

積み上げられた樽の中には鏡板が歪んでいるものもあるが、意外に漏れていない。職人たちの手仕事は大したものだ。もう半世紀以上経つものもあるだろうか。随分な量を天使に分け与えたモルトウイスキーは、『竹鶴35年』など長期熟成の商品に使用されるが、長く置いておけばすべて美味いウイスキーになるとは限らない。どんなに文明が進んでも、人間の味覚や技術が不可欠なウイスキーづくりは、人が人であることの素晴らしさを実感させてくれる仕事だと思う。

私はめっきり飲み歩く回数が減ったが、たまにブレンダーズ・バーに顔を出すと、カウンターで熱心にテイスティングセットを飲み比べられていたり、グループでウイスキーの話に花が咲いていたりと嬉しい光景に遭遇することがある。飲んでいるうちに話が盛り上がり、余市や宮城峡の蒸溜所ツアーを企画することもあるらしい。

ニッカファンということで、専らバーや蒸溜所見学、「マイウイスキーづくり」などでお知り合いになられたのだと思っていたが、最近ではインターネットのコミュニティサイトがきっかけという方も増えてきているそうだ。同じ趣味をもつ人たちがインターネット上で情報を交換したり、ときには実際に会って親睦を深めることもあるのだという。

私はニッカのサイトを見たり、メールのやりとりまでは行っているものの、それ以外のことは全く手つかずである。聞くところによると、最近の人たちはインターネットを利用して同好の士を募ることもあるそうだ。知人曰く「これまでは限られた場所でしかニッカファンと知り合うことができませんでしたが、インターネットだと日本全国、場合によっては海外にいる人ともコミュニケーションが取れるんです」。
「ほぉ、そういうこともできるんですか」と私は感心するばかりである。