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第96話
第96話
屋形船
先日、ニッカファンが集まる会合で屋形船に乗った。浅草の駒形橋から出船するコースで、船着場からは『東京スカイツリー』とアサヒビール本社ビルが見える。駒形橋や吾妻橋など、スカイツリーとビールジョッキを模したアサヒビール本社ビル、そして、スーパードライホールの上にある金色のオブジェをまとめて眺められる場所は、ちょっとした名所になっているらしい。
乗船して蔵前橋、両国橋、隅田川大橋、レインボーブリッジをくぐり、再び船着場に戻るというコースだが、想像以上にスピードが速く、小刻みに揺れる。それでもニッカのウイスキーと江戸前の天麩羅を愉しみながら21世紀の舟遊びを堪能させて
いただいた。中には柱にもたれてじっとしている方がいらっしゃったが、どうやら船独特の揺れが苦手なようであった。
揺れによって三半規管の平衡感覚が不安定になることで起こる船酔いだが、揺れが大きい場所ほど酔いやすい。一番、揺れの影響を受けにくいのは(船の形態にもよるが)中央付近から船尾に近い場所だといわれている。要は、船の重心に近いところが良いとのことだ。そして座るときは、進行方向を向いていたほうが酔いにくいらしい。忘年会などで屋形船に乗る機会があって、船酔いが心配な方は参考にされてみてほしい。また、楽しく過ごしていればお酒に酔うことはあっても船酔いはしない、ただし、これはあくまでも私の経験であるが。
屋形船は、今でこそ立派なエンジンが付いた船であるが、その昔は船頭が1人で漕ぐ小さな船であった。江戸の経済が豊かになってくると武士や大名、裕福な商人が船遊びに興じるようになり、大型の船が造られるようになっていった。「川御座船(かわござぶね)」と呼ばれていたその船は、豪華な装飾がなされ、金や漆などが施されていたという。豪華なお座敷が、そのまま川に浮いて移動しているようなものであろうか。美しい屋形船がお江戸の川を行き来する様は、さぞかし壮観であったに違いない。
“お江戸”といえば、いろいろなタイプの東京見物が流行っているようだ。私と同じ年代で同郷の、原爆被害を受けずに助かったメンバーが集まって、あちこち出かけることがある。「もうこれが最後だなぁ。来年はわからんよなぁ」などと言い合いながら、バスに乗って浅草や上野を巡ったことがあった。
東京に住んでいても、自分ではなかなか出かけることがない所へも案内され、面白く勉強になることもあった。多忙で遠くへ出かけることができなくても、近場なら1日あれば十分気分転換になる。機会があれば、また出かけてみたいものだ。
さて、10月6日、喜ばしいニュースが日本中を駆け巡った。北海道大学の鈴木章 名誉教授がノーベル化学賞を受賞したのである。私が北海道大学工学部応用化学科を卒業したのは1949年(昭和24年)。鈴木氏が同大学の工学部応用科学科教授に就任されたのは、その24年後の1973年(昭和48年)。
鈴木名誉教授は、有機合成化学や有機金属化学、触媒化学などの分野で研究業績を上げ、世界的に注目を集めたのが「クロスカップリング」という有機物同士を合成するための化学反応の研究であったらしい。この反応を活用することで、薄型テレビなどに使用される導電性ポリマーがつくられるということだが、私の専門外であるので詳しいことは分からない。いずれにしても大きな箱型だったテレビが薄型になって、場所を取らなくなったのはありがたい話である。
ちなみにテレビが超薄型になるという話は、実は私が大学に在学している頃から話題になっていた。「将来、テレビは額縁型になる」と。戦後間もなく日本が懸命に復興作業に取り掛かっている頃に、もうそんな話が出ていたのであるから研究者たちの頭脳は大したものである。
様々な分野で技術革新が進み、今や誰もが携帯電話を持っている時代になった。出社すると当然のようにパソコンを立ち上げてメールチェックをしている私は、何とか時代についていっている感がある。
自然と歳月、そして人の技術と感覚が頼りのウイスキーづくりは、あと何十年経っても変わることがないだろう。22世紀、23世紀になっても、余市や宮城峡蒸溜所が同じ風景であったら嬉しい。