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第79話
第79話
バレンタインデー
今月の13日、イタリアにいらっしゃる方から花が届いた。インターネットなどで申し込めば世界中どこにでも届けられるというから世の中便利になったものである。それにしても何かの記念日だっただろうか?と首を傾げていたら「明日はバレンタインデーですから、チョコレートの代わりではないですか?」と言われて突然の花束の謎が解けた。
そういえば私がバーへ営業に回っていた時代、バレンタインデーには、郵便でチョコレートが届いたものだ。封筒に入る大きさの板チョコレートが1枚。いわゆる“義理チョコ”である。中には「郵便で送ると壊れてしまうので届けに参りました。近くまでおいでくださいませんか?」と会社の近くまで足を運ばれた方もいらっしゃった。しかし、北海道にいた頃は特に何もなかった。政孝親父もリタおふくろも関心がなかったのかもしれない。
当時は、今のように高級チョコレートや、いろいろな種類のものがあるわけではなく、ほとんどが素朴なミルクチョコレート。私が幼い頃は遠足のおやつに持って行くこともあった。政孝親父はあまり甘いものを好まなかったが、一度、ダンボール箱一杯のチョコレートが札幌から届いたことがあった。すると政孝親父は、嬉しそうに「(孫の)孝太郎がチョコレート大好きじゃろう」と満面の笑みを浮かべた。ゴルフの景品ということだったが、ダンボール一杯は圧巻であった。もちろん考太郎は大喜び。その様子を見て政孝親父は、ますます目を細めていた。
さて、バレンタインデーというのは聖ヴァレンティヌスというキリスト教の司祭が殉教した2月14日のことをいうらしい。ローマ帝国皇帝・クラウディウス2世が恋人を故郷に残した兵士の士気が下がらないよう、ローマで兵士の婚姻を禁じた。気の毒に思ったヴァレンティヌスが秘密で兵士を結婚させたところ、捕らえられ処刑されたという。他にもいろいろな説があるということだが、チョコレートが介在するようになったのは、もっと後の時代のことである。日本でバレンタインデーにチョコレートを贈る、という習慣はチョコレート会社が仕掛けたものらしいが、ここまで定着するとは驚きである。
また、寛政9年(1797年)に書かれた「長崎見聞録」には“しょくらあと”の飲み方が紹介されていたというから、チョコレートの歴史は意外に古いものである。昔は“貯古齢糖”“千代古齢糖”“猪口令糖”という漢字を充てていたらしい。
“義理チョコ”で思い出したのだが、私が営業回りをしていた頃は、「流し」と呼ばれる人たちがギターやアコーディオンを抱えて店から店へ、演奏して回っていたものだ。演奏はもっぱら歌の伴奏である。馴染みのお客がいると顔を見ただけで、その人の十八番がわかる。「流しの○○コンビは、何処其処の店へ行くと来てくれる」という情報があったり、携帯電話などない時代なのに歌いたい人がいるとタイミングよくやって来たり。お店と何らかの連絡方法があったのだろう。
今でも流しと呼ばれる人たちがいらっしゃるが、カラオケの普及とともに人数は減っているようだ。それでもギターやアコーディオンの生演奏は人の温もりとコミュニケーションがあって良いものである。
ちなみに、政孝親父はカラオケが苦手なようだった。自分の好きな歌が決まっているので、そうではない歌を、しかも大声で歌われると機嫌が悪かった。しかし、カラオケで大きな声で歌うのは本人にとっては気持ちがいいものである。そうすると飲んでいる人達は相手の声がよく聞こえないので、話し声がどんどん大きくなる。
高速道路で、車の騒音をマイクで拾うと制御装置が作動して、正反対の位相の音をスピーカーから出して音を打ち消しあって騒音が小さくなるというシステムがあるらしいが、あれを応用すればカラオケがある店も少しは静かになるのではないかと思ったことがある。しかし、歌うのが好きな人にとっては物足りなさを感じるかもしれない。そうすると、身内だけで好きなだけ騒げるカラオケボックスは理想的な場所だといえるだろう。
静かなバーでも、カラオケが歌える場所でも、ウイスキーが良きコミュニケーションツールになってくれることが我々の願いである。