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第73話
第73話
果敢に挑戦していく人々の姿はどれも美しいものである。
8月24日に閉幕した北京オリンピックでは、レスリングや競泳などで日本選手が数々のメダルを獲得した。私も時間があるときはテレビ観戦をしていたが、日本人の体型は随分と立派になったものだ。食生活と生活様式の変化なのだろう、背も高く、筋肉のつき方も昔の日本人に比べて逞しくなった。
私は学生の頃、器械体操や水泳、柔道をやっていたので、特にそれらの競技を興味深く観ていたのだが、選手たちの身体能力には大変驚かされるものがある。人類はどこまで速く走り、泳げるようになるのだろう。記録が更新されるたび、そう思わずにはいられなかった。
オリンピックの開会式は、それぞれの国が独自の工夫を凝らした演出で幕が開けられるが、私の印象に残っているのは1984年のロサンゼルス大会の開会式に登場したジェットマン(正式名称はわからない)である。
空からジェット噴射機のようなものを背負った人間が会場に降り立ったときは目を見張った。あの、人が背負って空を飛ぶロケットは、「ツイン・ジェット・ヒドロジェン・ペロキサイド・プロパルション・システム(TJHPPS)」というもので、実用化されれば大変便利そうなものだが、本体は数十キロあり、操縦するのも難しく専門知識がなければ扱うことができないらしい。人間がスーパーマンのように自由に空を飛ぶのはいったい何年先のことだろうか。
オリンピックといえば、1972年2月6日、札幌大会の70m級ジャンプで日本人選手が金・銀・銅のメダルを独占、この時の実況放送でアナウンサーが叫んだ、「飛んだ、決まった!」の言葉は流行語にもなった。
金メダルは笠谷幸生選手、銀メダルは金野昭次選手、そして銅メダルは青地清二選手(残念ながら先般亡くなられた)。この快挙は日本を、世界を揺るがせ、連日マスコミで大きく報道された。金メダルに輝いた笠谷選手はニッカウヰスキーの社員であった。彼が入社した頃、私は余市蒸溜所の工場長を務めており、彼は総務課で仕事をしながらオリンピックを目指していたのである。
「(スキージャンプの)トレーニングがあるなら、仕事を早めに切り上げてもいいよ」と私が言っても、彼は「仕事が終わって皆で野球やテニスをやっているので、それがよいトレーニングになります」と言い、応じなかった。確かに当時、蒸溜所では仕事が終わると野球やテニスを楽しんでいたが、もちろん本格的に取り組んでいるわけではない。さすがに札幌オリンピック間近になると合宿して集中的に練習が行われていたが、それ以外では総務の仕事のほか、営業の仕事を手伝ったりと、大変、仕事熱心であった。
金メダルを獲得したということで、余市を皮切りにあちこちで祝賀会が開催されたときのこと、余市蒸溜所でのパーティーで笠谷選手は空いたグラスを片付けたり、キッチンで片づけものをしたりしていた。「せっかくの主役がいなくてはどうする。皆さん、会いたがっているのだから出てくるように」と呼ぶと「はい、はい」と返事をして出てきても、すぐにまた引っ込んでしまう。驕ったところが微塵もなく、真面目で謙虚過ぎるほどの性格。それが彼の魅力であったが、どうしてもマスコミは苦手だったようである。
そんな彼に、私が尋ねたことがあった。「あんな高いところからジャンプして怖くないのか?」すると彼はこう答えた。「怖いですよ。特に90メートルは(ジャンプ台に)上がるたびに怖いと思います」。スポーツに危険はつきものだが、高所から滑り降り、飛ぶという行為は、まさに命がけである。
戦時中、政孝親父は余市中学の校長から、「スキーのジャンパーは優秀な飛行士になる。空に舞い上がる経験が飛行訓練に効果的だ。ついては余市に中学生用のジャンプ台をつくってもらえないだろうか」と相談を持ちかけられた。親父はさっそく余市高校の裏山にジャンプ台をつくる計画を立て、1941年、小樽市のジャンプの元オリンピック選手、秋野武夫氏の設計によってジャンプ台がつくられた。余市中学校スキー部員も夏休みを返上して奉仕作業に参加して完成。秋に台開きが行われた。
このジャンプ台は「竹鶴シャンツェ」と呼ばれ、笠谷昌生(笠谷幸生の兄)選手、佐藤昇選手らの名選手を輩出し、その後、メダル獲得を記念して併設された「笠谷シャンツェ」(K30m級)からも、地元、余市町出身の金メダリスト、船木和喜選手や斎藤浩哉選手らが育ち、余市町はジャンプ競技の盛んな町として全国に知られるようになったのである。
オリンピックという晴れの舞台ばかりでなく、さまざまなことに果敢に挑戦していく人々の姿はどれも美しいものである。ウイスキーづくりに携わる私たちもまた、より美味しいウイスキーづくりに挑戦していかなければならないと、気が引き締まる思いである。