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第68話
第68話
スコットランドのウイスキーではない
日本のシングルモルトウイスキーの出荷量が前年を越えた。これは国内ばかりでなく海外、特にヨーロッパでも同じような現象が起こっており大変喜ばしいことである。
2002年、世界で3万人以上の会員を持つSMWS(ザ・スコッチ・モルト・ウイスキー・ソサエティ)は、余市を世界で116番目の蒸溜所として認定し、会員頒布ボトルリストに余市モルトを加えた(スコッチ以外ではアイリッシュ1箇所に次いで2番目の認定)。以来、会員の方々に頒布されているがとても好評をいただいているようで何よりである。
SMWSの会報誌には様々な蒸溜所のシングルモルトに関するコメントが掲載されており、余市モルトについて次のように書かれているものがあった。“熟してバーボンのよう”“相撲取りの寝酒”。前者はともかく、相撲取りの寝酒とは面白い表現だ。“鴨にかけるバーベキューソース、ジンジャーマーマレード、パパイヤを含むバナナチップ”・・・一方でこのような香味を持つと紹介されているウイスキーが果たして“相撲取りの寝酒”になるかどうか定かではないが、本物の力士に飲んでいただいて是非を問うてみたいものである。
余市といえば、今年も『マイウイスキーづくり』が実施されるが、先日「自分の樽に会いたい」という方がいらっしゃった。工場長に尋ねたところ、樽が眠っているのは照明がない暗い貯蔵庫である。鏡板にサインがしてあるとはいえ探すのはひと苦労。樽番号と位置を確認しなければならないので、できれば事前に蒸溜所に連絡して欲しいとのことだった。その方は無事、樽に出会うことができたであろうか。
また、先日ブレンダーズバーで出会った方は、今年、マイウイスキーが10年目を迎えるということで「竹鶴さんの手から瓶詰めしたウイスキーを受け取りたい」と仰ってくださった。遠路はるばる余市までお出でになり、釜焚きをしたり樽づくりをしたり。その上、ウイスキーを受け取りに再び余市にお出でくださる。これほどまでにニッカを愛してくださる方がいらっしゃるのは本当に有難いことである。
ニッカファンの方々とはブレンダーズバーでご一緒することもあるが、“ハイハイニッカ”を抱えて来店された方もまた、大変なニッカ愛好者であった。以前も回想録に書いたが(第17話)、政孝親父が「ニッカ(のウイスキー)ください。ハイハイ!」というリズム感がいい、ということで“ハイハイニッカ”と名付けていたが、もっと呼び易くしようと『ハイニッカ』になった40年前の“ハイハイニッカ”、二級ウイスキーである。
ご自宅の酒類倉庫にあったのを見つけられたようだが、保存状態がとても良く目減りしていないし、澱も出ていない。その方は私に「封を開けて欲しい」と仰った。古いウイスキーは飲まずに大切に保存しておく派と飲んでしまう派に分かれるとすれば、彼は飲んでしまう派なのであろうか。
ときどき、こんなに古いウイスキーをよく見つけられたと驚かされ、感心させられることがあるが、熱心なウイスキーファン曰く、日本全国の古い酒屋を巡って、店の片隅で埃をかぶっている段ボールの中や戸棚の奥を探すのだという。古い酒屋の場合、とてつもなく古い商品は価格がわからなくなっていて、大変リーズナブルな値段で手に入れることができることもあるらしい。ものによってはネットオークションで驚くほど高い値段で取り引きされていたりするが、珍品・稀少品を求めて酒屋巡りというのも意外な発見があったりして楽しそうである。
パソコン上で購入したい商品を落札するネットオークションには、昭和41年にダイヤモンド社から出版された『ヒゲと勲章|ウイスキー革命は俺がやる』が、2、000円以上の値を付けていたことがあったらしい。発売当初250円の本である。物価の変動はあれど随分と高値になるものだ。懐かしくて棚から引っ張り出してパラパラとめくってみると生前の政孝親父の言動があれこれと思い出された。「はじめて本場スコッチの味を日本で」の章にこんなことが書かれていた。
「・・人間は、楽しく食って、飲まねばならない。そんなところから、“酒”というものが嗜好品から必需品に近くなってしまったわけだ。必需品になってくると、それは、一部の人にだけ愛好されるものであってはならなくなってしまう。そこで、世界の誰にでも愛好されるウイスキーとかビールとかいったものが、ぐっとクローズアップされるということになる。つまり今日では、ビールとかウイスキーというものは、“世界の酒”になってきた。決してドイツのビールではない、スコットランドのウイスキーではない、というわけである」。
“スコットランドのウイスキーではない”という箇所が、まるで現在のウイスキー業界を予言しているかのようだ。
「ニッカウヰスキーを誇り、良いウイスキーをつくるために一生を捧げる」と結ばれていたが、私もまた同じようにウイスキーづくりに一生を捧げ、より多くの方々にウイスキーの素晴らしさを伝えていきたいと思っている。