*Firefox最新版をご利用のお客様へ* ページの背景画像が正しく表示されない場合、こちらをクリックお願いします。

第66話

第66話

ウイスキーに生きた男としての幸せ

ここ数年のモルトウイスキーブームも手伝ってか、スコットランドで既に閉鎖してしまった蒸溜所のウイスキーをもう一度つくろうという動きが出てきている。そのひとつが「ヘーゼルバーン」である。

政孝親父が25歳のとき、リタおふくろとの新婚時代に3ヶ月間の実習をさせてもらったヘーゼルバーン蒸溜所は、スコットランドの西、大西洋に突き出たキンタイア半島の突端に位置するキャンベルタウンの町にあった。キャンベルタウンは米国への移民船が出入りする港町で、石炭の鉱脈に恵まれ、ウイスキーの原料である大麦が豊富にとれたことから、ウイスキーの産地として栄えたこともあった。

20世紀初頭には30を超える蒸溜所があったが、現在はスプリングバンク蒸溜所とグレンスコシア蒸溜所の2箇所が残るだけである。ヘーゼルバーン蒸溜所は1925年に閉鎖されてしまったが、代わりにスプリングバンク蒸溜所がヘーゼルバーンのウイスキーを復活させた。

ピートを焚かない麦芽を使用し、3回蒸溜という珍しい方法でつくられており、2002年7月にスコットランドを訪れた際、McHardy工場長が我々を歓迎する夕べの席上で私に最初の記念ボトルをくださった。5年物のヘーゼルバーンモルトは淡い金色をしており、ラベルには「2002年7月25日、竹鶴 威 氏のキャンベルタウン訪問を祝し、彼のために特別にボトリング」と記されている。現在、8年物が販売されているが、キャンベルタウンのウイスキーが復活するのは大変喜ばしいことである。

政孝親父がこの地を訪れたのは1920年。グラスゴーから汽船で5時間をかけて行ったらしい。

著書『ウイスキーと私』には次のように書かれていた。

「カンベルタウンに行くため、私はグラスゴーの港から、遊覧船のような船でクライド湾をくだった。アラン島やキンタイヤー半島の風景は、故郷の瀬戸内海にそっくりの美しさで、郷愁にかられるのをいかんともしがたかった。」(地名等、原文のまま)

当時の様子は余市蒸溜所のウイスキー博物館にある実習ノートに詳しく記載されているが、尺貫法に換算してあり、尺や石(こく)など数字を表す単位が旧式のものなので読み返すと難解な部分も多い。

しかし、政孝親父は、山崎に蒸溜所[※]をつくるにあたり、このノートがいかに役立ったかを、前出の同著で述懐している。

「私はスコットランドに留学していた際どんな小さなことでも絵に描いて、その説明をノートにつけていたが、このノートがなかったらウイスキー工場はできなかっただろうと当時しみじみと感じたものである。」

[※]現・サントリー山崎蒸溜所(1924年竣工)。竹鶴 政孝は、帰国から1年余りを経て、株式会社寿屋(サントリー株式会社の前身)へ入社し、当蒸溜所の初代工場長に就任した。

それでも、実習ノートや英国で手に入れた資料だけが頼りだったため、実際に機械を取り付けたり、稼動させたりすると疑問が出てきたようである。原料の大麦を乾燥させるには、天井に金網を引いて大麦を広げ、下からピートを焚いて発芽した大麦を乾かす。その工程の、ピートを燃やすところから網までの正確な距離がわからなかった。

そして、蒸溜機においては、石炭を焚くところから釜の底までの距離がハッキリしない。くまなく記録したつもりだったがノートに記録が残っていなかったため、改めて、政孝親父はわざわざ英国へ行き、それぞれの距離を測ってきたという。初めて物事を立ち上げるには想像を絶する労力が必要とされるものである。

この実習ノートも政孝親父の手元にあったものではなく、巡り巡って戻ってきたものである。政孝親父はあまり物をとっておく性格ではなかった。ことさら亡くなる前は「これを捨ててくれ、あれも捨ててくれ」と書類からダンボールに入れた写真、古い扇風機にいたるまで何かと処分するように言われたが、それでも幾つか取っておいたものもある。

ウイスキー博物館をつくるのが決まったとき「ああ、あれは捨てなければ良かった」と後悔したものも数多いが、後の祭りであった。また、古いポスターやラベル、ウイスキーも取って置いたつもりが、管理者が変わったり、引っ越したりでいつの間にか無くなっている。会社の歴史を記録するためにも、これからは保管する習慣をつけなくてはならないと思う。

保管といえば、リタおふくろの手紙が出てきたことがあった。スコットランドの家族からのもの、そして私への手紙もあった。私が余市蒸溜所に、おふくろが東京にいた頃、手紙のやり取りをしていたのだが、つい返信が遅くなるとおふくろは不機嫌になったものである。文章は専ら英語であり、私も英語で日常の出来事などを知らせる手紙を書いた。電話や電子メールという便利な物があっても、やはり手紙にはぬくもりが感じられる。

ウイスキーづくりも人の技、樽による熟成、そしてブレンダーの嗅覚・味覚があってこそ味わい深いものに仕上がるものだ。ウイスキーが蒸溜所からのメッセージがこもった手紙のようなものだとしたら。より心を込めてつくらなければならないと思うのである。