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第57話

第57話

偶然とは時に人類に素晴らしい物を与えてくれる

ウイスキーの特徴のひとつに「熟成年数が記されている」ということがある。たとえば、『ニッカ竹鶴35年』、『竹鶴21年ピュアモルト』、『シングルモルト余市10年』などだ。

これらは、それぞれ熟成年数が異なるように香味にも違いがある。ちなみに『シングルモルト余市10年』は、使用されているモルトウイスキーがすべて10年ぴったりの熟成というわけではなく、最も熟成年数の若いウイスキーすべて10年熟成ということで、中には11年、12年熟成を経たウイスキーがヴァッティング<※1>されている場合もある(銘柄によっては記載されていないものがある)。

ときどき「ウイスキーは熟成年数が長いほうが美味しいのですか?」と尋ねられることがある。確かに熟成年数が長いウイスキーは芳醇で、実に味わい深く、余韻が長い。『ニッカ竹鶴35年』は、35年以上熟成したモルトウイスキーとグレーンウイスキーをブレンド<※2>。ドライフルーツのような果実香やバニラ、ピスタチオなどの香りが、完熟したメロンの甘さ、タンニンのコク、ビターチョコレートのような味わいと調和し、スパイスを伴った樽の余韻が続く。(販売を終了しています。)

一方、『シングルモルト余市10年』は、10年以上貯蔵熟成した余市蒸溜所のモルトウイスキーで、果実を思わせる華やかな香りとなめらかな味わいがある。熟成年数が短いウイスキーが持つ「若々しさ」も、また、ウイスキーのひとつの個性といえるだろう。ウイスキーはただ長く貯蔵すれば良いというものではなく、最良な熟成状態で樽から出されるのが望ましい。その樽も大きさや特性が様々である。

小さな樽にウイスキーを入れて部屋に置いておいたところ、あっという間に量が減ってしまったことがあった。ウイスキーが樽に触れる面積が大きいと、ウイスキーは酸味を帯びる。本来、アルコールはアルカリ性であるが、樽材に含まれる酸の成分がウイスキーに溶け出して酸性になるのである。長期熟成に堪えられるウイスキーは木香がつかないよう、使い古した樽に入れ替えて熟成させるなど、一見、静かで変わらないように見える貯蔵庫の中では、いろいろな作業が行なわれているのである。

同じ時期に、同じ大きさの樽に詰めて、同じ貯蔵庫へ運び入れても、10年が熟成のピークのものもあれば、20年以上の熟成が可能なものもあるので、どの樽をどのタイミングで1本のウイスキーに仕上げるかを見極めることもウイスキーづくりに重要な作業なのである。

今や熟成に欠かせない樽であるが、14~15世紀、スコットランドでは、蒸溜したての透明なウイスキーが飲まれていた。やがて18世紀に入ると大英議会は、財源確保のため酒税の大幅な引き上げをスコットランドに要求した。しかし、多額の税金を支払うのを不服とした農民たちは、酒税を逃れるために、手近にあったシェリー酒の空樽に蒸溜したばかりのウイスキーを詰めて森の奥深くに隠したという。そして、歳月が過ぎ、樽を開けてみたところ無色だったウイスキーは琥珀色になり、味も香りもまろやかに変わっていた、とのことだ。もしも農民が樽以外の物にウイスキーを隠していたら…、ウイスキーの味わいや歴史は随分と違ったものになっていたであろう。

このような偶然の産物のひとつにチーズがある。その昔、アラビア商人が、羊の胃袋で作った水筒に山羊の乳を入れ、ラクダの背に積んで旅をしていた。あるとき乳を飲もうとしたところ、中から出てきたのは透明な液体と白い固形物。意を決して口にしてみたところ、とても旨かった。それがチーズの元祖である、という話だ(諸説あるが)。

羊の胃袋から染み出した凝乳酵素の作用で、山羊の乳が、透明な液体であるホエー(乳性)と、チーズのもとになる白い固形物・カード(凝乳)になったというから、もし山羊の乳を別の容器に入れていたら、別の物が誕生していたか、ただ腐敗して飲めなくなってしまったかもしれない。偶然とは時に人類に素晴らしい物を与えてくれるものだ。

それにしてもアルコールとは不思議なもので、アルコール工場で設備改修のためアルコールを送る鉄パイプを外してみたところ、パイプ内にアルコールが残っていた。残っていた古いアルコールは刺激が少なく、とてもやわらかな香味に変化していたのである。アルコールは貯蔵によって味覚がやわらかくなる(鉄の成分はアルコールに溶けない)。ウイスキーに含まれるアルコールという物質は想像以上に奥が深いものである、ということは間違いないようだ。

ウイスキーを味わうとき、そのグラスに注がれた1杯に長い歴史や熟成が持つ複雑なメカニズム、貯蔵庫を取り巻く気候風土などを想像してみると、より味わいが深くなるような気がしてくる。

<※1>ヴァッティング(Vatting)/
モルトウイスキー同士(例えば、余市モルトと宮城峡モルト)を混ぜ合わせること。

<※2>ブレンド(Blend)/
ウイスキー製造時の用語として使う場合、原料と製法が異なるウイスキー(モルトウイスキーとグレーンウイスキー)を混ぜ合わせること。