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第48話

第48話

“浪漫”という隠し味

去る7月3日、東京・南青山の『ニッカ ブレンダーズ・バー』で同店の開店2周年とニッカウヰスキー創業72周年の創立記念日(7月2日)の特別企画として、限定プレミアムウイスキーと非売品ウイスキーを皆さんと共に楽しむという催しがあった。

当日ご提供したウイスキーは、おととし、創業70周年を記念して500本限定発売した『The NIKKA WHISKY Pure Malt 35年』と、創業70周年の社員向け記念ウイスキー『Four Distilleries Blend 12年』であった。『The NIKKA WHISKY Pure Malt 35年』は限定500本であったのに、何故お出し出来たのかと思われるかもしれないが、これはお客様が購入されたときに、万が一破損などのトラブルがあった場合に備えていたものが残っていたのである。

『Four Distilleries Blend 12年』は第3代マスターブレンダーの佐藤茂生が、余市蒸溜所、宮城峡蒸溜所、ベン・ネヴィス蒸溜所のモルトと宮城峡のカフェグレーンを特別にブレンドしたもので、佐藤曰く「一切の雑念がなく、原酒と対話しながら心を落ち着けてブレンドすることが出来た」というものであった。ニッカウヰスキーの蒸溜所と、 1989年に弊社が再開させたベン・ネヴィス蒸溜所という珍しい組み合わせでのブレンドだが、香味共にバランスがとれた、“心落ち着く”味わいのウイスキーであった。

当日はチーフブレンダーの久光も参加し、満席の大変な賑わいであった。初めてお会いした方でも、ウイスキーという共通の話題があると既知の間柄のように会話が弾む。ときには、とても興味深い話、楽しい話に花が咲いて、お別れしてから「そういえば、お名前を伺っていなかった」と気がつくこともたびたびである。

ウイスキーを通じ、たくさんの方々と知り会うことが出来て気付いたのは、私と皆さんとのウイスキーに対する印象の違いである。「歳月を重ねて琥珀色を帯び、深い香味を増していくウイスキーに夢を感じる」「樽で原酒を熟成させると、原料には無いバニラや果物の香りがする。ウイスキーは実に神秘的な酒だ」という話を聞くと「ああ、ウイスキーに浪漫を感じてくださっているのだ」と感服させられるばかり。技術屋である私は、ウイスキーが琥珀色になり、豊かな香味を持つのは“仕事の結果論”と捉えていたが、“浪漫”という隠し味は、その人だけしか加える(つくりだす)ことが出来ない、素晴らしいものだと思う。

開店当初は、正直申し上げて「大丈夫であろうか?」という想いがあった『ブレンダーズ・バー』であるが、たくさんの方々に関心を持っていただけて幸いである。そもそもブレンダーというのは、ブレンダー室にこもって日々原酒と向かい合っている仕事であり、ブレンダー室にお客様が立ち入ることなど普通はありえないことである。ブレンダーがお客様にウイスキーについて語るという試みは初めてであったのだが、反響の大きさに驚かされたと同時に、多くの方がこれほどまでにウイスキーというものに興味を持ってくださっているということを再認識出来て何よりであった。

また、お客様にウイスキーを知っていただきたい、ということで、ニッカウヰスキーでは、蒸溜所を開放した。それは、「自信をもって品質の良いウイスキーをつくっているのだから、皆様にもぜひ蒸溜所を見ていただきたい」という政孝親父の意向から始まった。戦後間もなくのこと。まだガイドがいない時分は、私を含め技術屋がお客様を案内して回った。傍らをウイスキーを積んだ馬車がシャンシャンシャン、と鈴の音を鳴らして通るのはとても情緒があるものだが、難点がひとつあった。尾篭(びろう)な話であるが、馬の糞はきちんと処理をするようにしていたが、それでも路上に落としてしまうことがある。冬場はその上にどんどん雪が降り積もるのだが、春になると雪が溶けてその馬糞が風に乗って舞い上がる。いわゆる馬糞風である。すっかり乾燥して臭いはないのだが、糞に混ざっていたワラがいつの間にかズボンの折り返し部分に溜まっていることがあった。それ以来、私はズボンの裾はダブルではなくシングルしか穿かないようになったのである。

馬がいた当時は獣医が必要で、診療所は蒸溜所のすぐ前にあった。獣医師は宇宙飛行士の毛利衛氏のお父上で、衛氏は幼い頃、よく余市蒸溜所で遊んでいたそうである。

獣医といえば、リタおふくろは犬が大好きで、どこからともなく拾ってきた犬を家で飼っていたことがあった。その犬の具合が悪くなったのだが、現在のように犬猫専門の病院は無く、馬を診てもらっていた獣医に連れて行った。注射を打つ、ということになったとき、リタおふくろはしきりに「先生、先生、馬じゃないですからね。注射の量は少なくしてくださいね」と言っていた。今となっては笑い話だが、リタおふくろは心配で仕方がなかったのであろう。