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第44話
第44話
春の訪れ
東京では21日、春分の日に桜の開花宣言があった。気象庁が開花宣言に使う桜はソメイヨシノであるが、この品種は江戸末期から明治初期に、東京の染井村の植木屋(駒込の西福寺に墓が残る伊藤伊兵衛政武と伝えられる)が新たに生み出した品種だと言われている。
私が余市蒸溜所に勤めるようになって間もなく、土手に1本だけ植えられていた桜の樹の下で、従業員とウイスキーを飲みながら桜見物をしたものだ。とはいっても酔いが回ってくると、文字通り「花より団子」で桜はウイスキーを飲む口実のようなものであった。
北海道は、本州が温帯に属するのに対して冷帯(亜寒帯)に属来しており、春と秋が短いのが特徴である。余市に桜が咲くのは5月上旬で、ほぼ同じ時期に桜と一緒にいろいろな植物が一斉に花を咲かせる。桃、チューリップ、ツツジなどと一緒に桜が咲いているという一種独特な光景が広がるが、その様は実に美しい。山田町の家の庭にもエゾムラサキツツジ、クロッカス、ラッパ水仙などが植えられていたが、その花々の中に白い花はひとつもない。その理由は「白は雪だけで充分じゃ」と政孝親父が白い花を植えるのを好まなかったからであった。
我が家で「ああ、春が来たな・・」と感じさせるもののひとつにピアノがあった。横浜で購入した国産品であったが、塗料が剥がれることもなく、しっかりとした造りであった。リタおふくろがスコットランドから楽譜を持って来ていて、よくピアノを弾きながらスコットランドに伝わる歌を歌っていたものだ。冬、リタおふくろは、よく「ピアノが笑っているわ」と冗談めかして言ったものである。冬にストーブを焚くと空気が乾燥してきて蓋の木が縮み、ピアノの白い鍵盤のところにわずかな隙間が出来て笑ったように見えるからであった。この笑ったピアノが元通りになると、もう春である。
先日、知人からミニチュアの屏風をいただいた。京都の南禅寺にある狩野元信による襖絵を模したもので、竹に夫婦鶴と子鶴が3羽描かれている。狩野元信(1476~1559年)は室町後期の画家であり、狩野派の始祖として、平安時代の絵巻物以来の伝統を持つ「やまと絵」の彩色法と、中国から伝わった「漢画(水墨画など)」ならではの線描を融合させ、絢爛華麗な狩野派の礎を築いたと言われている。
この「竹と鶴」という構図だが、実は竹鶴家の姓にまつわる、こんな話が残っている。
広島県竹原の屋敷の竹林に、何処からともなく鶴が飛来して巣を作った。「古来、松に鶴と聞くも、竹に鶴とは瑞兆(ずいちょう)なり」と『小笹屋竹鶴』を屋号とし、明治になって、そのまま『竹鶴』が姓になった。
丹頂鶴は今は北海道にしかいないが、当時は全国にいたのではないかと思われる。竹鶴発祥とも縁が深いものである。竹は古来より、松や梅と共に吉祥文様として用いられてきた。松と同様に常緑であることから不老長寿の象徴とされ、成長が早いことから子孫繁栄の意味を持つといわれている。そして、鶴は古来より長寿の象徴として尊ばれ、吉祥の鳥として中国や日本で大切にされてきた鳥である。つがいで行動するとされ、同じ伴侶と一生を添い遂げるといわれている。
ちなみに広島県竹原の竹鶴本家で造っている日本酒の銘柄も『竹鶴』だが、酒の名前と蔵元の名前が同じというのは大変珍しいらしい。
この瞬間も、貯蔵庫で眠る原酒たちは少しずつ琥珀色を帯びて、芳醇な香味を持つウイスキーへと成長している。熟成には、樽の材質や容積のほか、貯蔵庫内における樽の場所や積み上げる段数、周囲の湿度や温度など、様々な要素が複雑に絡みあうが、そのメカニズムは未だに完全には解明されていない。
余市に春が訪れ、温かな太陽の陽射しが降り注ぎ、花が咲き、木々が芽吹くと、樽のなかのウイスキーも人間と同じように大きく深呼吸するのではないか。余市蒸溜所の様子はライブカメラで見ることができるが、雪も融けてきて春めいてきた感じである。
今年はどの樽の、どのウイスキーが皆様の元に届くのだろう。たくさんの花が咲く中、貯蔵庫を回ってみたくなった。