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第42話

第42話

楽しみをつくる

政孝親父は、著書『ウイスキーと私』にこう書いている。

「私の最高では、ウイスキー銘柄別に十数種類飲み分けることができた。三十歳ぐらいのときだった。・・(中略)・・もっとも、これは、たえずやっていれば、相当の種類を識別できるようになる、このことはウイスキー屋ばかりではない。灘(なだ)あたりの人も、日本酒の銘柄を、相当言い当てるのではないかと思う。このような鑑別は、主として鼻が行なうといってよい。ちょっと考えると舌のようであるが、そうではない、鼻だ。」

人間には1万種類の匂いをかぎ分ける能力があると言われている。この嗅覚をフル活用するのがブレンダーの仕事なのだが、ある日、ふと、こんなことを考えたことがあった。犬の嗅覚は、人間のおよそ100万倍である。その鋭い嗅覚を利用して警察犬や麻薬探知犬、災害救助犬が活躍しているが、犬を訓練してウイスキーの香りを分析させたら面白いに違いない。

しかし、問題は犬の訓練である。香り成分を細かく分けて覚えさせる、ここまでは何とかなりそうだが、犬にどのように意思表示をさせるか。そんな時間があったら人間が行なったほうが手っ取り早いというものだ。100万倍の嗅覚がいかなるものか想像がつかないが、あまりにも様々な香りが感じられてしまい、ブレンドどころではなくなるかもしれない。
嗅覚は、元々、人類が生命を維持するために必要な感覚のひとつである。まずは香りをかいで、食べても大丈夫かどうかを判断する。異常が感じられなければ口に入れる。やがて人類は嗜好を楽しむようになり、クセのある飲み物や食べ物を口にするようになっていく。

世界一臭い食品と言われているのが「シュールストレミング」というスウェーデン産のニシンの缶詰だそうだ。気圧変化による破裂を防ぐために航空輸送は厳禁。家の中で缶を開けるなどもってのほかだと言われている。スウェーデンの蒸溜酒・アクアビット等と一緒に食すというのだが、私はまだ一度もお目にかかったことがない。一方、日本には「くさや」という発酵食品がある。これはムロアジ、トビウオなどから作られた干物の一種で、開いた魚をくさや汁に漬けた後、乾燥させるのだが、好き嫌いがはっきり分かれる食べ物である。

デンプン・糖・タンパク質などの有機物が微生物に分解されるという過程をみると、腐敗と発酵には大差がないようだが、分解の結果、人間にとって無害であれば発酵で、害毒であれば腐敗である。これらのようにクセのある食べ物を、最初は苦手と感じながら飲んだり食べたりしているうちに好ましいと感じるようになる味わいのことを“acquired taste(アクワイアードテイスト)=習い覚えた嗜好”というが、ウイスキーもそのひとつに数えられるのではないだろうか。特にピートが利いたウイスキーは煙臭く、最初から美味いと思って飲む人は少ないようである。

しかし、人間とは実に好奇心が強い生きもので、苦手だと感じながらも、口にせずにはいられない。そして気が付くと、その味わいの虜になっていたりするのだ。もしかすると先に挙げた「シュールストレミング」の虜になっている人がいるかもしれない。

世の中には様々な嗜好品があるが、ウイスキーは“つきあいやすい”酒だと思う。料理と一緒の場合、あまり濃いとアルコールの強さで味覚が刺激されすぎてしまう。食中に飲む場合はウイスキー・1に対して水・3くらいが丁度良い。ただし、たくさん氷を入れて冷やし過ぎてしまうと、これもまた味覚が損なわれる可能性があるので、あまり冷やさない程度の水割りが美味しいと思う。

食後は、薄い水割りよりもストレートかオンザロック、あまり強くないほうが良い場合はウイスキー・1に対して水1・ぐらい。今の時期のように寒さが厳しいときは(私は風邪を引きそうなときに飲んだが)、お湯で割った「ウイスキー・シンダー」(※)もいいものだ。タンブラーか陶器のカップにウイスキーワンショットとスプーン半分の砂糖、熱いお湯を入れてかき混ぜる。

生命を維持するための嗅覚を「生きる楽しみ」にする、という発想から生まれてきた嗜好品。その中のひとつであるウイスキーづくりに携わることが出来たということは、“楽しみをつくることが出来た”ということではないか。今年で57年目、まだまだ日々精進、である。
(※)ウイスキー・シンダー[WHISKY CINDERS]/
スコットランドでは、「ウイスキー・トディー(WHISKY TODDY)」を「ウイスキー・シンダー」と呼ぶ。トディーとは、甘みをつけて水かお湯で割ったカクテルのこと。