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第39話

第39話

物をつくるということ

ニッカウヰスキーの前身である大日本果汁株式会社が設立されたのは昭和9年。北海道・余市に余市蒸溜所が完成したのは同年10月であった。

当初、余市リンゴジュースをつくりながら銀行から100万円の融資を受けてウイスキーの準備に取り掛かった。フランス製の濃縮機を使い、真空低温濃縮でビタミンを生かしたリンゴジュースを1本30銭で売り出したのだが、今思えば随分と贅沢品である。何故なら1本に約5個分の果汁を使っていたのだ。そして、とても栄養満点。しかし、当時は一般の人たちの嗜好に合わず、東京、大阪に船便で送ったもののいつまで経っても着いておらず、調べてみたら「北海道を北上して留萌(るもい)に寄航していた」などということもあった。

リンゴジュースで悪戦苦闘しつつも、ウイスキーづくりの準備は着々と進んでいった。肝心かなめの単式蒸溜器は、サントリー山崎工場建設のとき蒸溜器を造った喜田 専之輔氏につくらせた。日本では全く馴染みがないポットスチルをどうしてつくることができたのか?それは政孝親父が持ち帰った、スコットランドでのウイスキーづくりを細かく記したノート、いわゆる竹鶴ノートが大いに役に立ったのである。これは仕込、蒸溜の際にも助けとなったことは言うまでもない。

待ちに待ったウイスキーの蒸溜に取り掛かったのは昭和11年の秋。当然ながらウイスキーづくりに詳しい人間がいるわけもなく、横浜のビール工場にいた技術者2人と、同じくビール工場で樽づくりをしていた小松崎さん、そして政孝親父が中心となってウイスキーづくりを始めたのであった。

小松崎さんは、ときどきドイツ語の樽づくりの本を見ていたことがあった。私が「ドイツ語がわかるんですか?」と尋ねると「いや、図を見ていれば大体理解できるんだ」と笑っていた。彼は文字を読むとき老眼鏡をかけていたが、樽に使う板の目を見るときは何故か眼鏡をかけない。「(老眼鏡)かけなくて大丈夫なんですか?」と聞くと「大丈夫。商売だからね」という返事が返ってきたものである。

単式蒸溜器はまだ1基しかなかったので、初溜と再溜(※)を1基の単式蒸溜器で行なった。何から何まで初めてづくしで、すべての工程において政孝親父が文字通り手取り足取り状態。寝る間もなかったであろう。試行錯誤を繰り返し、年数が経つうちに蒸溜所で働く従業員も勘やコツのようなものがつかめてくる。仕込から蒸溜まで、人の手が加わるのはたった一週間だが、ここが肝心なのである。でき上がった原酒の品質が良くなければ、樽に詰めて熟成させても良いウイスキーは生まれない。

私が余市蒸溜所に勤めるようになったのは昭和24年。その頃はウイスキーが世に出回るようになり、施設も増設され従業員の数も増えていった。北海道大学の先生方のご協力もあり、農芸化学を学んだ専門知識を持つ人たちが入社するようになった。これは現在でも言えることであろうが、特に技術系は「ウイスキーづくりに興味がある」「ブレンダーをやってみたい」という興味や好奇心を持ってやってくる人が多い。“好きこそ物の上手なれ”とは使い古された言葉だが、これほど力になるものはない。好奇心があれば積極的に取り組むことができる。指導するほうも遣り甲斐があるというものだ。

宮城峡蒸溜所はコンピューター制御の行き届いた蒸溜所である。プログラムを組む際は余市での作業を参考にした。蒸溜の際、温度が上がりすぎると自動的に冷却用水が出るというシステムになっているが、すべて機械にお任せというわけではない。原料は麦芽という農産物である。その年によって品質も微妙に違う上に、蒸溜所を取り巻く環境も変化していく。私は常々「コンピューター制御だからといって、コントロール室に座っているだけでは駄目だ」と言っていた。従業員たちもしっかり心得ていて、現場に出て、目で見て、香りを嗅いで、ウイスキーの仕込、蒸溜を行なった。

ウイスキーづくりだけでなく物をつくるということは、指示する側、受ける側の気持ちが通じ合わなければならない。技術力も必要だがニッカウヰスキーは、この信頼関係がとてもうまくいっているのではないかと思っている。現在もOBの方々が率先して蒸溜所に顔を出し、ときに働いてくださる。とても嬉しく頼もしいことである。

これまでに築いたウイスキーづくりのノウハウは、決して錆びついたり無用になることはない。何故なら、ウイスキーは自然と人の技があって初めて誕生するものだからである。そして、その技は脈々と継承されていく。そこには働く人々の情熱が秘められているのだ、と私は確信している。
(※)初溜と再溜/
モルトウイスキーは大概2回蒸溜が行なわれる。
最初の蒸溜でアルコール分を約20%に、この液をさらに蒸溜してアルコール分70%近い無色透明の蒸溜液を得る。
蒸溜の目的は発酵液からアルコールと香味成分を取り出すことにある。