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第34話

第34話

ファッションや食に流行があるようにお酒にも流行がある

日本にウイスキーがやってきたのは江戸時代末期の1853年、アメリカのペリーが艦隊を率いて日本に上陸した時に持参したのが最初と言われている。そして1871年(明治4年)に輸入が始まるが、当時はまだ国産ウイスキーはつくられておらず、ウイスキーといえばアルコールを原料にした模造品。異国からの珍しい贈り物であったり、わずかな量しか輸入されない頃のウイスキーは限られた人の口にしか入らなかった。

いわゆる贅沢品であったウイスキーが多くの人に飲まれるようになって、幾度かのウイスキーブームが到来した。まずは戦後、昭和30年代後半から40年代前半の高度経済成長期である。ニッカウヰスキーでもより多くの原酒を求めて、昭和44年に宮城峡蒸溜所を竣工。宮城峡蒸溜所では、数年の間に発酵タンクと蒸溜器の数が2倍になった。

さて、不思議なもので、ファッションや食に流行があるようにお酒にも流行がある。1970年代のアメリカでは、ウォッカやジンが大流行。「ホワイトレボリューション=白の革命」と呼ばれたその時代は、バーボンウイスキーよりもウォッカやジンをベースにしたカクテルに人気が集まった。その頃、日本で流行していたのは無色透明の焼酎甲類で、やがて酎ハイやサワーが若者たちの間で大流行するようになる。

日本とアメリカで同じような蒸溜酒が好まれるという興味深い現象には様々な要因があるだろうが、時代背景や飲む人の心理状態が影響しているのではないかと思うことがある。バーカウンターでウイスキーを飲むというよりも、食事をしながら、仲間たちと歓談しながら軽やかな味わいのウォッカやジン、そして焼酎を楽しむ。高度成長の高級化志向や個性を重要視する時代風潮のせいか、当時は“ライト”“軽やか”が求められていたのではないだろうか。

そして1980年~90年代はワインブームが到来した。当時は特に赤ワインに含まれるポリフェノールがコレステロールの酸化を防ぎ、動脈硬化を予防するということが言われ、健康ブームとあいまって、爆発的にワインが売れた。そもそもポリフェノールというのは植物に含まれている成分で、抗酸化物質の一種。ココアやお茶にも含まれている成分だが、肉をよく食べ、赤ワインを日常的に飲むフランス人の心臓病での死亡率が少ないことがアメリカの学会で発表されたために、赤ワイン=体に良い、という図式が出来上がったのであろう。

近年、再び焼酎ブームが到来して間もなく、モルトウイスキーも注目されるようになった。世界唯一のウイスキー専門誌「ウイスキーマガジン」主催のコンテストで『ニッカシングルカスク余市10年』が、「ベスト・オブ・ザ・ベスト2001」のトップという栄誉に輝いたのである。同時期に、シングルモルトウイスキーは世界中でも脚光を浴びるようになっていった。先日出席したパーティーでもシングルモルトが世界的にブームであるという話をしたばかりである。焼酎ブームが過ぎれば、次はウイスキーが来るのではないか、という確かな予感は、半世紀、ウイスキーづくりに携わった勘とでもいおうか。

ここ数年、よく“癒し”という言葉を耳にするようになった。ウイスキーの色と香り、味わいは、まさに“癒し”をもたらしてくれると思う。樽の中で長い間熟成されたウイスキーには、樽材由来の香りが幾つも溶け込んでおり、特にバニラや熟した果実に似た香りは、ふっと心を安らかにしてくれる作用があるそうだ。インターネットや新聞などで見かけるアロマテラピーというのは香りで心身をリラックスさせるものらしいが、丁度あんな感じではないかと思う。

ウイスキー業界にも、少しずつではあるが良い変化が見られるようになってきた。現在、スコットランドには110ヶ所くらいのウイスキー蒸溜所があるが、その内、閉鎖や休業となっているところが20ヶ所以上にも達し、新たに造られることはほとんどなかった。そんな中、1995年、スコットランドの西岸・アラン島に「アラン蒸溜所」が誕生した。

また、政孝親父がウイスキーづくりの工程をノートにまとめたヘーゼルバーン蒸溜所はキャンベルタウン最大の蒸溜所であったが、1930年代前半、奇しくも余市蒸溜所を興した時期に閉鎖されてしまっていた。現在は当時の工場の一部が残っているだけだ。しかし、スプリングバンク蒸溜所が、政孝親父が実習の総仕上げをしたヘーゼルバーン蒸溜所の名を復活させ、『ヘーゼルバーン』という名のウイスキーを発売することになったのである。

「ウイスキーという、科学だけでは解明しきれない、ある意味で魔性のようなものに自分がとりつかれて、自然の神秘のような力と、人間のあいだをさまよい続けてきたのではないかと思うこともある」と、政孝親父は著書『ウイスキーと私』に記したが、魔性と神秘の酒、ウイスキーが、今後どのような成長を遂げていくのか楽しみである。そして、より多くの人々に伝えていくのが私の役目だと思っている。