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第31話

第31話

懐かしい余市での生活

寒い日が続くと、余市での生活を懐かしく思い出すことがある。

私が初めて、広島から余市蒸溜所の敷地内にあった政孝親父とリタおふくろの家に行ったときのことである。畳敷きの部屋におよそ不似合いな鋳物の石炭ストーブが鎮座していた。これは貯炭胴に石炭をくべて燃やし、その熱で室内を暖めるというもので、いったん火が着くとストーブが真っ赤になるほど火力が強い。よく北海道の暖房設備の徹底ぶりに「真冬に浴衣でビールを飲む」などという話を聞くことがあるが、決して大袈裟な表現ではないのである。しかし、夜になると火を落とすため、明け方には部屋は摂氏零度くらいまで下がる。

毎朝のように、リタおふくろが石炭ストーブに火を入れる音で目が覚めた。前日に燃え尽きた石炭の灰を落とす音が響き渡り、嫌でも目は覚めるのだが、リタおふくろの「早く部屋を温かくして過ごしやすくしてあげたい」という思いやりがとても嬉しかった。

やがて薪ストーブが使われるようになった。こちらは石炭ストーブと違って暖まるのに少し時間はかかるが、やわらかな暖かさが心地よかった。石炭ストーブも薪ストーブも燃焼した煙を排出するため、煙突が重要な役割を果たしていた。マントルピースは、排煙のために煙を引く力を強くしすぎると、煙が室内にこもることはないが、部屋の空気まで吸い込み、なかなか部屋が暖まらない。逆に煙を引く力が弱すぎると部屋中が煙だらけになってしまう。

煙突内に煤がたまると煙突掃除を行なわなければならない。掃除をしているとあっという間に鼻の穴が真っ黒になったが、これも冬の雪の中の風物詩であった。今でこそ便利なエアコンやヒーターがあるが、昔は暖を取るためにいろいろな苦労や工夫があったものだ。

ストーブといえば、政孝親父が専門の業者に銅製のストーブを作らせたことがあった。銅は熱伝導率が良いので、より早く室内が暖まると思ったのであろう。そして赤銅色で見た目も綺麗である。やがて前代未聞の銅製ストーブが我が家に届いた。しかし、熱伝導率の良さが仇となって、銅は酸化して真っ黒になり、ボロボロと剥がれ落ち始めた。政孝親父は「失敗した。わはははは」と笑い、代わりに銅板が薪ストーブの下に敷かれることになったが、これは大成功。いかついストーブの下にピカピカの銅板が敷かれると、部屋が明るい雰囲気になった。

銅といえばポットスチルがあるが、余市蒸溜所のポットスチルは、石炭直火蒸溜なのに何故大丈夫なのか。それは発酵液を注ぎ入れているからである。もしも空焚きしてしまったなら、銅製ストーブと似たような現象が起こるに違いない。

余市蒸溜所のポットスチルは底の部分が12~13ミリ程度、上部は数ミリほどの厚さである。石炭直火蒸溜なので当然ながら底の部分が焦げ付くことがあるため、ワイヤーブラシで掃除を行なう。このポットスチルは、熱をかけてプレスして出来上がり、という簡単なものではなく、木で型を造り、銅板を当ててハンマーで叩いて仕上げられていく。叩けば叩くほど、銅の組織が強度を増す。

余市蒸溜所、宮城峡蒸溜所のポットスチルの製作は大阪で行なわれたが、日本にポットスチルの雛形のようなものは無かった。設計図を引くときに大いに役立ったのが、政孝親父がスコットランド留学時代に記録した、いわゆる政孝ノートだったのである。

政孝親父は銅製ストーブの他に、こんなユニークなものも作らせていた。銀製の「ちろり」である。「ちろり」とは取っ手のついたコップのような形をしたもので、日本酒の燗をつける便利な道具だ。現在もおでん屋の鍋の隅に引っ掛けられていたりする。「銀のほうが燗がつきやすく、冷めにくい」ということで、竹と鶴が刻まれた特製ちろりで、冬は毎晩熱燗を楽しんでいた。

私たちの周りには様々な成分、特性を持つ物質が存在するが、それぞれの個性を知ることで、より文化が発展して、物質面は勿論、心を豊かにもしてくれる。ウイスキーの蒸溜に使用されているポットスチルも然りである。失敗はあっても、それが新しい発見に繋がることもある。政孝親父が失敗したと笑った銅製のストーブも、思いがけず銅の持つ長所と短所を教えてくれた。これはウイスキーづくりにも同じことが言えるのではないか。ある日突然、思いもかけなかったウイスキーの発見をするかもしれない。

期待と好奇心は、まだまだ尽きることがない。