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第53話
第53話
クリスマス
今月(12月1日)、発会45周年を迎えた「余市ニッカの会」に出席した。会場は余市蒸溜所のニッカ会館。今年は暖冬のせいか、雪はまだわずかであった。60人が集まり、いつものように「余市をより良い街にするにはどうしたら良いか」という話やウイスキーの話、思い出話に花が咲いた。たくさんの方が集まってくださり嬉しかったのだが、45年も経つと発会当初からの会員は私を含めてたった二人。歳月の流れをしみじみと感じさせられたが、一方で、変わらずにニッカを愛してくださる方々がたくさんいらっしゃるというのは大変有難いことである。
今月15日よりオンラインショップで『シングルモルト余市1986』を限定発売した(※既に販売終了)。余市蒸溜所の2タイプのモルトを混和したもので、アルコール分は55パーセント。樽出しに近い状態で瓶に詰めたものである。新樽で貯蔵されたモルトウイスキーとヘビーピートタイプモルトという異なるタイプのモルトを使用。個性溢れる1本に仕上がっている。
1986年といえば、バブル景気の真っ只中であった。株価や地価が高騰し、未曾有のマネーゲームに日本中が沸いた。1965年から約5年間続いた、いざなぎ景気に次ぐ好景気でウイスキーも良く売れた。その年の5月8日にはイギリスのチャールズ皇太子とダイアナ妃が日本政府の招待で来日。京都見物の後、東京を訪れ、青山通りをパレードされたり、宮中晩餐会に出席され“ダイアナ妃ブーム”という言葉も生まれた。そんな時代に蒸溜、樽詰めされたウイスキーが平成の世に『シングルモルト余市1986』として誕生する。
物づくりの世界にあって、数十年という歳月と共につくりあげられてゆくウイスキーは、実に奥が深く面白いものではないか。たとえば今年、蒸溜、樽詰めして貯蔵庫に納めたウイスキーが20年の眠りについたら、目覚めるのは2026年。世の中は果たしてどうなっているのだろう。技術屋である私にとって、ウイスキーの味わいがどうなっているのかを予測するのは難くないが、世の中がどう変化しているかは予測不可能である。
この『シングルモルト余市1986』をさっそく召し上がった方がニッカの掲示板<※>に書き込みをしてくださっていた。実に簡潔で、短い言葉の中に溢れるような感情がこもっているのを感じた。「よくもこのような素晴らしい表現が出来るものだ」と感心しきり。大変喜んでくださったようで、あらためてウイスキーづくりという仕事に携わってよかったと思った。
<※>[掲示板]http://www.nikka.com/bbs/
ところで。12月といえばクリスマスをイメージする人が多いのではないか。街のあちこちにクリスマスの装飾がなされ、今年、表参道には行燈を模したイルミネーションが一種不思議な雰囲気を醸しだしている。
私はクリスマスという行事があるということは幼い頃から知っていた(広島には外国人宣教師もいて、キリスト教は決して珍しいものではなかった)。子供たちの間でよく「サンタクロースはいるかいないか?」が話題になるが、物心ついたばかりの私は「サンタクロースなんていない」と思っていた。夢のない子供のようだが、根っからの理系体質だったのか、心の中で(トナカイがソリを引いて、しかもサンタクロースを乗せて空を飛ぶわけないじゃないか)などと考えていたのである。
政孝親父の下へ養子に行ったとき、生まれて始めて本格的なクリスマスを過ごしたのを覚えている。山へもみの木を切りに行き、それを鉢に据え付けて飾り付けをする。メインディッシュともいえる鳥料理に、リタおふくろは七面鳥よりも鶏をよく使っていた。鶏の腹に玉ねぎやセロリの葉、ニンニクなどを詰めてオーブンで焼き上げるもので、とても美味しかった。
クリスマスプディングは何ヶ月も前から準備をするもので、小麦粉やバター、卵、砂糖にスパイス類やドライフルーツ、ナッツ類を混ぜ、ブランデーを混ぜ合わせて密封する。ブランデーが入っているため腐ることはなく、次第に熟成してくるのでクリスマスには程よい食べ頃になる。ちなみに我が家のクリスマスプディングには指貫と銀貨は入っていなかった(英国ではプディングに指貫と銀貨を入れるという慣わしがあり、切り分けられたケーキに指貫が入っているといいお嫁さんに、銀貨が入っているとお金持ちになれると言われている)。
クリスマスが終わったら、次は正月の準備である。我が家のおせち料理は一風変わっていた。黒豆を煮るとき、一般的にはふっくらと柔らかく煮るのだろうが、我が家の場合は黒豆は固く皺が寄っていなければならなかった。政孝親父が「何とかして固くする方法はないものか」と試行錯誤し、やがて黒豆を固く仕上げることに成功したのである。どうやら砂糖を入れるタイミングにコツがあるようだが、このような黒豆をつくる家庭は珍しかったのではないだろうか。
お雑煮の餅は丸餅だった。しかし当時、余市にはなかなか丸い餅がなく、わざわざ注文して用意した。スコットランドには餅のような食感の食べ物がなかったせいか、リタおふくろはひとつだけ口にしてお代わりすることはなかった。
2006年もあとわずかとなった。今年もウイスキーを通して、たくさんの方々との交流を持つことができたことを大変喜ばしく思う。
ニッカウヰスキーを愛してくださる皆々様方にとって、2007年も素晴らしい1年でありますように。