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第25話
第25話
酒づくりには共通の面白さがある
戦後第一次カクテル・ブームが到来したのは昭和20年代後半であった。当時はカクテルづくりに必要なリキュールやジンがほとんど輸入されていなかったので、余市工場でリキュールやジンを製造することになった。ジンは英国からジュニパーベリーのオイルを輸入。アルコールなどを調合して、コンパウンドタイプ(※)のジンをつくった。
ジュニパーベリーは、ヨーロッパ原産のヒノキ科の常緑針葉樹の杜松(ねず)の実で、直径6~9㎜の丸い実を乾燥させて香辛料にする。ジュニパーベリーには松ヤニに似た樹脂独特の香りがあり、ジンの香りづけに使われるスパイスとして知られている。もっと以前は薬草に分類され、殺菌消毒、解毒剤として使用されてきた。
ペパーミントリキュールを製造することになったとき「北海道の北見がペパーミントの産地として有名ではないか」ということになったのだが、北見で採れるペパーミントは食用ではなく駆虫剤用。結局、香料ハッカ由来のオイルを輸入したり、産地違いの個性が異なるペパーミントを取り寄せてペパーミントリキュールを製造したのだった。オレンジの香りがするキュラソーもよく出た。
とりわけ苦労したのがベルモットであった。ベルモットは、白ワインにニガヨモギなどの香草を配合して作られる酒である。主に食前酒として飲まれるが、カクテルの材料としても使われる。香辛料やハーブを配合するのだが、当時は参考になるような書物がないので悪戦苦闘しながら試作を繰り返した。ようやく完成したベルモットは、本場イタリアのものに香りは近づいたが、コクが足りない。味に重みを出そうとわずかに塩を加えたところ見事に味は良くなったのだが、「ベルモットに塩など前代未聞だ」ということで、結局、塩は使わなかったのである。
今でこそ原料になるハーブや天然色素などがふんだんに手に入り、製造法も確立したが、あの当時はまさに暗中模索。よくぞやったものである。昭和26年には「ドライジン」「キュラソー」「ペパーミント」が発売された。この年はサンフランシスコ講和条約調印の年で、多くの建物や施設などが接収解除となり、一部の上流階級層しか口にできなかった本格的カクテルが身近なものになっていったのである。
カクテルブームがやってきたとはいえ、当時の余市では本格的なカクテルを作れるバーテンダーがいるわけでもなく、ほとんど見様見真似であった。それでもパーティーなどが開かれると、研究所の従業員たちと一緒に会場までカクテルを作りに行ったものである。マティーニ、マンハッタン、スクリュードライバー、ジンフィズ。一番人気があったのはジンフィズだった。炭酸とレモンで爽やかな飲み心地になるので、ついつい飲んでしまうのだろうが、カクテルによっては意外とアルコール度数が高かったりするので飲みすぎには注意したいものだ。
私がリキュールやジンを製造したり、カクテルを作ったことがある、というと意外に思われるかもしれないが、酒づくりには共通の面白さがある。試行錯誤や失敗を繰り返しながらも、完成にたどり着いたときの喜びは何物にも変え難い。製造工程で「こうすればどうだろうか?それとも・・・」とあれこれ思案するのも苦にはならない。先人たちが造りだしてきた様々な酒も、いろいろな道程を経てきたのであろう。そう思うとウイスキーづくりには、まだまだ未知の部分があり、もっと素晴らしい味わいの物ができるのではないか、という想いが頭をもたげてくるのである。
(※)コンパウンド/蒸溜酒にハーブやフレーバー、糖分など異なった原料を加える製法。