NIKKA WHISKY ウイスキーが紡ぐ、9つの物語。

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日本のウィスキーは、ひとりの青年の夢から生まれた。初号ニッカウヰスキー NIKKA WHISKY 1940 ニッカウヰスキーのウイスキーの歴史は、この風格あるデザインのボトルで幕を開ける。竹鶴政孝が北海道・余市蒸溜所でウイスキーの蒸溜をスタートしてからこの初号ニッカウヰスキーが出荷されるまで、会社の経営は極めて厳しかった。早く発売して経営を楽にしようという声もあった中、政孝は辛抱強く熟成の時を待ち、香り高く重厚な味わいのウイスキーをつくりあげた。妥協することなく「本物」を追い求め、品質にこだわり抜く。約80年の時を経て輝くこの琥珀色の液体には、ニッカウヰスキーの本能とも言うべき信念が込められている。

日本のウィスキーは、ひとりの青年の夢から生まれた。ニッカウヰスキー創業者 竹鶴政孝

日本のウイスキーの父 竹鶴政孝。今では、世界五大ウイスキーのひとつに数えられるジャパニーズウイスキー。その歴史を辿ると、ひとりの日本人青年に行き当たる。「日本から来たひとりの青年が、一本の万年筆とノートでウイスキーづくりの秘密を盗んでいった」これは、かつての英国首相が語った言葉。彼がユーモアと敬愛の念を込めて紹介した人物こそ、ニッカウヰスキー創業者・竹鶴政孝であった。政孝は、1918年にウイスキーの本場スコットランドへ渡った。24歳の若者の、夢への挑戦である。スコットランドには、頼れる者も、蒸溜所へのツテもなかった。彼が持っていたのはただひとつ。情熱だけだった。日本で本物のウイスキーをつくりたいという情熱である。この青年は、自分の力で運命を切り拓き、持ち前の勤勉さと積極的な行動で、本場のウイスキーづくりを習得。帰国後は苦労を重ねて習得した技術を礎に、飽くなき挑戦をつづけた。そして、ジャパニーズウイスキーにおける貢献と実績から、人々はいつしか政孝を「日本のウイスキーの父」と呼ぶようになるのであった。

日本のウィスキーは、ひとりの青年の夢から生まれた。スコットランド留学時代の竹鶴政孝

理想のウイスキーづくりへの情熱。政孝のスコットランド留学は、順風満帆ではなかった。大学の講義は、すでに日本で学んだことが多かったため、図書館でウイスキー関係の文献を読みあさる日々を過ごした。鬱々と過ごしていると、心の中にひとりの男が現れる。留学の機会を与えてくれた摂津酒造社長の阿部喜兵衛である。阿部は、イミテーションウイスキー全盛の当時の日本で、近く本格ウイスキーの時代が来ると確信していた。そして、新しい時代にふさわしいウイスキーの夢を入社間もない青年に託したのである。「現場で肌で学び、一日も早くこの手でつくらねば」政孝は、あらゆる蒸溜所に実習願いを送り、ついにひとつの蒸溜所から実習の許可を得た。夜遅くまで現場を歩き、人の嫌がる仕事もよろこんでした。白衣に忍ばせたノートに設備のことや操作の注意などをこと細かく書き込んだ。水を吸った大麦がみずみずしい精気を発散させるように、本場の技術や知識を吸収し、夢に向かう力をつけてゆく政孝であった。

日本のウィスキーは、ひとりの青年の夢から生まれた。

困難を乗り越える夢の力。日本でイミテーションではない、本物のウイスキーをつくる。政孝の夢は、スコットランドでの修行を終えてから、ますます強くなった。これは個人の夢ではなく、使命とさえ思った。帰国後の政孝は、いっそうウイスキーづくりにおいて妥協しない男になった。その信念ゆえに、人とぶつかることも多かった。戦争や幾多の困難もあった。だが、それらの壁も、本物のウイスキーをつくるという夢の力で乗り越えていった。熱くて、純粋。政孝とはそういう男であった。だからこそ、そんな真摯な想いに共感し、励まし、支援する人たちがいて、多くの人に見守られながら原酒をつくりつづけた。思えば、なんと幸せな男であろう。ただひたすら、おいしいウイスキーをつくりたい。その純粋な野心が、ついに実を結んだ。「初号ニッカウヰスキー」の誕生である。スコットランドに渡ってから20年以上の歳月が流れていたが、政孝の挑戦は、まだ始まったばかりであった。

挑戦するからこそ、生まれるものがある。ブラックニッカ BLACK NIKKA 1956.blcnded whisky 初めて世に出た時、ブラックニッカは当時のウイスキー級別制度で最高クラスの「特級」として発売された。竹鶴政孝は余市モルトをふんだんに使い、自らが目指すブレンデッドウイスキーに挑戦した。政孝の本物へのこだわりが、格調高いボトルデザインにも現れている。時は過ぎ、ブラックニッカは今や日本で最もポピュラーなウイスキーブランドのひとつである。軽やかさを求めてノンピートモルトを採用した「クリア」、華やかさと円熟のコクを実現した「リッチブレンド」、深みある味わいと心地よい余韻の「ディープブレンド」… そのラインアップは、ニッカウヰスキーの挑戦の歴史を物語る。現状に満足せず常に挑みつづける心が、ブラックニッカを進化させた。そして、その心こそが、多くの人を魅きつけている。

挑戦するからこそ、生まれるものがある。

品質第一主義のために。日本の洋酒界を代表するウイスキーをつくりたい。その純粋な想いが、本格的なスコッチタイプのブレンデッドウイスキー、「ブラックニッカ」をつくらせた。初号ブラックニッカが発売された当時、政孝は当時のウイスキー「級別制度」の最上級である「特級」にこだわった。一級の「新ブラックニッカ」の発売時にも、政孝は当時の新しい級別制度が定めたぎりぎり上限までモルト原酒を加え、導入したてのカフェ式連続式蒸溜機でつくったカフェグレーンをブレンドし、品質にこだわり抜いた。こだわりは、ウイスキーの味わいだけではない。デザインも、ウイスキーが醸し出す世界観には必要だと感じていた。ラベルの中央には、自らが考案したニッカエンブレムを大きくレイアウト。英国貴族の紋章のように見えるが、左右に一頭ずつ配されているのは日本の狛犬。中央の兜は武芸を意味し、NIKKAの文字周辺には元禄模様が施されている。王室献上用のウイスキーにエンブレムをつけるスコットランドの伝統への敬意と、最高のウイスキーをつくった自信と誇りが、高らかに表現されている。

挑戦するからこそ、生まれるものがある。

よりおいしいウイスキーづくりのために。1965年、「新ブラックニッカ」誕生の際にラベルにデザインされた「ヒゲのおじさん」のキャラクター。彼の名前は、「キング・オブ・ブレンダーズ」。実は、彼にはモデルがいた。W・P・ローリーという人物である。英国人のローリーは、いくつもの香りを嗅ぎ分けるウイスキーのブレンドの名人であったと言われている。ブレンドこそ、ウイスキーの命。そう考える、政孝らしいキャラクターである。政孝自身もヒゲをたくわえていたため、モデルは自分ではないかとよく尋ねられた。そんな時は、「わしは自分の顔をラベルに使うほど厚かましくないぞ。このヒゲの男は目が青いじゃないか」と答えていたそうだ。ブラックニッカシリーズは、政孝が目指した通り、今や日本を代表するウイスキーブランドのひとつとなった。キング・オブ・ブレンダーズは、ブラックニッカのラベルに受け継がれ、お馴染みのキャラクターとして定着し、本物にこだわり抜いた政孝の魂は、ここにも生きつづけている。

愛の深さが、ウイスキーの深さになっていく。スーパーニッカ SUPER NIKKA 1962.blended whisky エレガントな曲線を描くボトルの中にたたえられた、やわらかな琥珀色。グラスに注ぐと、甘く芳醇な香りが立ちのぼる。スムースな口当たり、バランスのとれたまろやかな味わいの後、穏やかなピートと果実の甘い余韻が消えていく。竹鶴政孝が、前年に亡くなった最愛の妻・リタへの哀悼と感謝を込めてつくりあげたスーパーニッカ。その気品ある存在感は、政孝を支えつづけた在りし日のリタを偲ばせる。そして、熟成を重ねた異なる原酒が溶けあって生まれる絶妙な調和は、政孝とリタが互いを想う愛に似て、すべてを包み込む深さに満ちている。生涯をウイスキーづくりに捧げた男と、彼を愛し、共に夢を追いつづけた女性。同じようにウイスキーを愛するつくり手たちは、喜びも困難もふたりと分かち合い、日々を過ごした。ウイスキーは愛がつくる。愛に満ちた時間が、ウイスキーを深くする。スーパーニッカは、その確かな証しである。

愛の深さが、ウイスキーの深さになっていく。竹鶴政孝と竹鶴リタ

竹鶴政孝の夢を支えたリタの愛。日本で本物のウイスキーをつくる。その夢に一生をかけた男と、日本という異国の地に渡り、夫の傍らで懸命に夢を支えた女性がいた。竹鶴政孝と、その妻・リタである。ふたりは、リタの妹を通じて出逢い、いつしか魅かれ合うようになった。プロポーズの際、「あなたが望むならこの国に留まってもいい」と言う政孝にリタは「政孝さんの夢は日本でウイスキーをつくること。私もその夢と共に生きたいのです」と答えた。夫の挑戦を支えるために、リタは日本人として生きることを決意した。日本の料理も覚え、漬物やイカの塩辛なども自分でつくった。日本語は、流暢な関西弁を操れるほど堪能になった。戦時中は、スパイの容疑をかけられるなど苦労も多かった。それでも、リタはプロポーズでの誓いを守り、どんな時も政孝を笑顔で励まし支えつづけた。故郷スコットランドの気候・風土に似た北海道・余市の地で最期の日を迎えるまで、リタは政孝のいちばんの理解者であった。

愛の深さが、ウイスキーの深さになっていく。

ウイスキーは、愛の結晶。政孝の夢をそばで見守り、支えつづけた妻・リタ。最大の理解者であるリタを喪った時、政孝は葬儀にも出席せず、二日間も部屋に閉じこもりつづけたという。そんな悲しみの淵から政孝を救い、再び奮い立たせたのもまたウイスキーづくりであった。リタの死後、政孝は今まで以上に新しいウイスキーの開発に没頭。ウイスキーのことを考えることで、いなくなったはずのリタをそばに感じることができたのかもしれない。これには、息子の威(たけし)も加わった。貯蔵庫にある原酒をひとつひとつチェックし、考え得るあらゆる組み合わせを試した。政孝とリタが奇跡の出逢いを果たしたように、原酒たちの奇跡の出逢いがあることを願って。そうして生まれたのが、スーパーニッカである。これは、政孝がリタに捧げるウイスキー。リタへのあらん限りの愛と感謝を込めてつくりあげた、渾身のウイスキーなのである。

愛の深さが、ウイスキーの深さになっていく。

ウイスキーづくりにトリックはない。スコットランドで学んだことを、政孝は忠実に守った。大自然に敬意を払いながらも、熟成に最適な環境を整えること。工程のひとつひとつを丁寧に行い、蒸溜後は、樽に入れて自然に委ねること。単純な作業を、何ひとつ手を抜かずに行うこと。原理原則は守るが、枠にとらわれず、ルールを設けず、自由な発想でチャレンジする時は果敢に挑むこと。そして、自然に謙虚であること。「ウイスキーづくりにトリックはない」これは、政孝が口ぐせのように言っていた言葉である。ひとりでも多くの人に本物のウイスキーを飲んで欲しいという原点を忘れずに、日常の地道な努力と技術の研鑽をつづけることが、良いウイスキーをつくるただひとつの道だと伝えたかったのだろう。人が人を愛する時のように、政孝はウイスキーにどこまでも真摯に、まっすぐに、情熱的に向き合った。そしてその想いは、今も大切に受け継がれ、その土地の風土と、つくり手たちの技術や経験が重なり、時間をかけておいしいウイスキーに姿を変え、多くの人々を魅了しつづけている。

愛の深さが、ウイスキーの深さになっていく。

ウイスキーに、美しい花嫁衣装を。政孝は、ボトルデザインにも愛情を注いだ。「ウイスキーが熟成するまでには何年もかかる。大きくなった娘を嫁にやるのと同じだから、立派な衣装を着せてやりたい」と言うほど、自分のつくるウイスキーを愛した。スーパーニッカを世に出す時に政孝は、このウイスキーにふさわしい最高のボトルをつくろうと、付き合いのあった各務(カガミ)クリスタルにボトル製作を依頼した。出来上がったのは、すらりと伸びた首とやわらかなふくらみを持つ女性的なボトル。一本ずつ手で完成させる手吹きボトルは、容器というより、もはや工芸品。二級ウイスキーが300円台で買えた時代に、3,000円という値段で販売した。手吹きゆえ口径が一本一本異なるので、ガラス栓とひとつずつ擦り合わせる必要があるなど、量産できない上に手間もかかった。それでも政孝は、パッと見るなり「これがいい」と抱きしめて離さなかった。娘の美しい花嫁衣装を見た途端、嫁に出したくないと思う父のような心境だったのだろうか。

ひとりでも多くの人を、ウイスキーで幸せにしたい。ハイニッカ HI NIKKA 1964,blended whisky まろやかでソフトな味わい、さわやかな余韻。水で割っても、広がりと伸びを感じられるおいしさ。カジュアルに愉しめるウイスキーとして愛されてきたハイニッカは、発売から半世紀を経た今も根強いファンを持つ。商品名はハイニッカだったが、発売時のラベルには“Hi”ではなく“HiHi”と書かれていた。それは当時盛んに使われていた「原音に忠実、高音質」を意味するオーディオ用語“Hi-Fi”(ハイファイ)を呼びやすくしたものだった。竹鶴政孝は「『ニッカ(のウイスキー)ください』『ハイハイ!』というリズム感もあっていいじゃないか」と、非常に気に入っていたと言う。ウイスキーは楽しい、人生は楽しい。そんなことを思いながら味わいたいウイスキーである。

ひとりでも多くの人を、ウイスキーで幸せにしたい。

ウイスキーを誰にでもおいしく飲みやすいものに。政孝がウイスキーづくりを本格化させた昭和初期。日本では、原酒を一滴も使わず、エッセンスなどで香りをつけたイミテーションウイスキーが主流であった。本物のウイスキーは、良い出来であるほど、庶民の口には合わないものだったのである。また、原酒の製造が他の酒に比べて時間と手間がかかる分、値段が高くなることも、ウイスキーが浸透しなかった一因でもあった。酒税が改訂され、原酒が5パーセント未満、0パーセントでも三級ウイスキーと呼べるようになり、日本中で飲まれるようになったが、政孝はできるだけ本物に近い味わいにこだわった。自分が納得のいくウイスキーを妥協することなくつくりつづければ、人は必ずわかってくれる。そう信じたのである。そして、自らがおいしいと信じたウイスキーこそみんなの手に届くものにしたいと考えた。「ハイニッカ」の誕生である。モルト原酒を当時の二級ウイスキーの上限いっぱいまで使い、500円で売り出したハイニッカは、その品質の高さと価格の手頃さから、「ハイブーム」を巻き起こすのだった。

ひとりでも多くの人を、ウイスキーで幸せにしたい。竹鶴政孝が愛用していたグラス

高いウイスキーだけが、良いウイスキーではない。ハイニッカは、政孝が晩年にこよなく愛したウイスキーとしても知られている。飲み方は、水割りだった。ウイスキーを知り尽くした竹鶴政孝であれば、もっと高級なものを飲むと思われがちだが、実は違った。ウイスキーは、人がそれぞれいちばんうまいと思う方法で楽しめばいい。そう考えていたのだ。人に構わず、ゆっくり楽しみながら飲めばいい。ウイスキーに限らず食事やTPOに合わせて、さまざまな酒を楽しめばいいのだ、と。楽しい時間を長くすることが、人生を幸せにすること。そう考える政孝にとって、酒は人生を豊かにするもの、人生を楽しむためにあるもの。だからこそ、飲み方などにこだわることなく自由にウイスキーを楽しむことを提言していたのだ。多くの日本人が愛したハイニッカを、心ゆくまで自由に味わう。それは、酒の本当の楽しみ方を知っていた政孝にとって至福の時だったのかもしれない。

ウイスキーをつくるだけでなく、新しい時代をつくれ。ピュアモルト PURE MALT 1984,pure malt whisky フロム・ザ・バレル FROM THE BARREL 1985,blended whisky ウイスキーが、経済的な豊かさを象徴する道具のように扱われた時代があった。いや、ウイスキーだけではない。消費に日本中が踊り、高価なものを所有すること、贅沢な装いを纏うことに人々が熱狂した時代だった。そこに現れたこのふたつのウイスキーは、極めて異色だった。シンプルな出で立ちは新しい美しさを主張し、否応なく中にあるウイスキーそのものを際立たせた。モルト原酒100%のおいしさを世に示したピュアモルト。“樽出し”の力強さを届けたフロム・ザ・バレル。素のままのウイスキーの存在感、濃厚で豊かな香りと味わいに、人々は魅了された。時代の趨勢に流されない、ウイスキーそのものの価値。そこに光を当てたニッカウヰスキーは、ウイスキーづくりにこだわり抜く企業として改めて認知されることになったのだ。

ウイスキーをつくるだけでなく、新しい時代をつくれ。

ウイスキーを、もっと自由なものに。本物のウイスキーにこだわること。それは、本場のウイスキーと同じものをつくる、ということではない。時代の変化を先取りし、新しいウイスキーの価値を提案すること。ウイスキーの楽しみ方を、もっと自由に提案していく。流行に媚びず、想像を超えるものをつくるチャレンジ精神こそが、ニッカウヰスキーのDNAである。そのひとつの表れが、「ピュアモルト」である。このウイスキーが登場した1984年頃は、ウイスキーも見た目の華やかさや、派手な装飾を競い合っていた。そこに、モルト原酒100%のおいしさをシンプルに味わってほしいという願いを込めた、装飾性を一切排除したボトルは衝撃だった。中味も個性的であったが、これこそが、新しい感覚を持つ人たちが待っていたものだった。ウイスキーは、もっと自由になっていい。伝統を大切にしながらも、ウイスキーの世界をさらに広げていく。ニッカウヰスキーには、政孝のフロンティア精神がしっかりと根付いているのであった。

ウイスキーをつくるだけでなく、新しい時代をつくれ。

変化を恐れず、挑戦を楽しむ。政孝は生前、「本来ウイスキーは、自由に楽しむもの」と語っていた。いろいろな飲み方で、ウイスキーを楽しんでもらいたい。その想いは、今も社員たちに受け継がれている。ニッカウヰスキーは、挑戦するウイスキーメーカーである。それは、ウイスキーそのものへの挑戦でもあり、時代への挑戦でもあり、ウイスキーを愛する人々への挑戦でもある。「フロム・ザ・バレル」。見るからに挑戦的なボトルデザインのこのウイスキーは、モルト原酒とグレーン原酒をブレンドした後、再び樽詰めして数ヶ月間貯蔵。この「マリッジ」で生まれるおいしさを、ほぼそのまま楽しめるブレンデッドウイスキーである。再貯蔵されたウイスキーの多くは瓶詰め前に加水しアルコール分が40パーセント前後に調整されるのに対し、「フロム・ザ・バレル」は51パーセント。異なる個性の原酒が深く馴染み合うことで生まれる濃厚な調和、繊細な香り。ウイスキーを愛する人を驚かせたい。もっと喜ばせたい。そんなつくり手の気持ちが、ウイスキーをさらなるおいしさへ誘う。

夢が生まれる場所。シングルモルト余市 SINGLE MALT YOICHI シングルモルト宮城峡 SINGLE MALT MIYAGIKYO 1989,single malt whisky シングルモルトを味わうことは、蒸溜所の風景を味わうことである。厳しくも美しい北の海辺、北海道・余市蒸溜所で育まれるシングルモルト余市。その重厚で力強い味わいからは、澄みきった空に浮かぶ雪を抱いた山々、微かに潮の香りが混じる風、蒸溜器を熱する激しい石炭の炎が感じられるだろう。ふたつの清流が出合う緑の峡谷、仙台・宮城峡蒸溜所で育まれるシングルモルト宮城峡。そのさわやかで軽やかな味わいからは、きらめきながら流れる川面、みずみずしい緑あふれる山々、霧に包まれた静かな貯蔵庫が感じられるだろう。そして、このふたつの風景のどちらにも存在するのは、大きな夢へ向かって歩みつづけたひとりの男、竹鶴政孝の姿である。ニッカウヰスキーが誇るふたつのシングルモルトには、政孝の夢と情熱が込められているのだ。

夢が生まれる場所。余市蒸留所

本物を目指して辿り着いた理想の地。政孝が選んだ、ウイスキーづくりの夢をかなえる土地。それが、北海道・余市であった。余市の自然環境は厳しく、冬には-10℃になる日もある。それだけでなく、東京や大阪といった大消費地から遠く、商売には便利とはいえない場所である。だが、政孝はこの地を選んだ。北に臨む日本海と三方を囲む山々から吹き下ろす冷たい風が、冷涼で湿潤な気候を生み出す。豊かな雪解け水が流れ込む清涼な余市川が大地をうるおし、ウイスキーづくりに欠かせない大麦やピートもとれた。余市の厳しくも美しい自然が、スコットランドのハイランドを思い起こさせた。ウイスキーに捧げた人生を託すにふさわしい場所。余市との出逢いによって、政孝が長年夢見てきた、本物のウイスキーづくりは現実となっていく。

夢が生まれる場所。

夢の原点。余市蒸溜所をつくった時、政孝は40歳になっていた。スコットランドに渡ってから十数年。壁にぶつかり、それを乗り越えるたび、政孝のウイスキーへの想いは強くなっていった。もしウイスキーの神というものが存在するのなら、この厳しい北の大地は、政孝の信念を試すために神が用意したものなのかもしれない。政孝はこの地でウイスキーをつくりつづけた。政孝が目指したのは、重厚で力強いモルトウイスキー。スコットランドで学んだ本場のウイスキーづくりを、一切の妥協を許さず実現させた。そのこだわりのひとつが、「石炭直火蒸溜」である。ニッカウヰスキーは時代が移り変わっても、石炭直火蒸溜にこだわりつづけている。それは、石炭直火でなければニッカが求める余市モルトの味わいができないからである。納得できるものをつくるためなら、どんな手間もいとわない。そんなニッカウヰスキーの信念は、ここ余市蒸溜所で生まれ、受け継がれているのだった。

夢が生まれる場所。宮城峡蒸溜所

個性の違いが生み出す広がり。理想のブレンデッドウイスキーをつくる。たくさんの個性的な原酒の中から選び、ブレンドすることで、ウイスキーはより味わい深く豊かになる、と政孝は考えていた。日本にはスコットランドのように蒸溜所同士で原酒を交換しあう文化がない。「ないなら、自分たちでつくればいい」。そんな想いから、政孝は余市とは異なるタイプの原酒をつくる蒸溜所建設の決断をした。理想のウイスキーづくりへの情熱は、政孝の夢を共に追いつづける人たちの心を動かし、その後押しを受け、1969年に宮城峡蒸溜所が誕生した。最初の蒸溜を終えテイスティングをした時、政孝は「違うな」と言った。不安な顔をする従業員たちに、政孝は付け加えた。「これでいいんだ。余市と違うからいい。これは、この土地がつくってくれたものだ」個性の違うふたつの蒸溜所で原酒をつくりわけることによって、ニッカウヰスキーは、さらに力強く挑戦をつづけるのであった。

夢が生まれる場所。新川

ウイスキーは、時間と自然に磨かれる。宮城峡蒸溜所は、杜の都・仙台をうるおす広瀬川と、蔵王連峰を経て流れる新川に囲まれた峡谷にある。四季を通じて霧や靄に包まれ、冬は雪も多い。湿度の高いみずみずしい空気は、樽の原酒を乾燥から守り、ゆっくりと熟成を促す。政孝はウイスキーを新川の水で割って飲み、「うまい!」とその場で蒸溜所建設を決めた。建設を進める際は、その土地の自然環境に最大限に配慮した。伐採は最低限に留めた。電線はすべて地下に埋設した。土地の起伏を活かすため、製造過程ごとに建物を分けたりもした。すべては、自然を守ることを優先した結果であった。当時は、高度成長期の真っ只中である。機能的、経済的なものが求められていた時代において、この設計思想は先進的であった。自然を大切にしなければ、おいしいウイスキーはつくれない。そう考える政孝には極めて合理的なものだった。豊かな自然とつくり手たちに守られ、宮城峡蒸溜所のモルトは長い時をかけて磨かれ、華やかさを身にまとうのである。

夢が生まれる場所。

ジャパニーズウイスキーが世界の頂点へ。2001年。日本のウイスキーが初めて世界の頂点に立った。「シングルカスク余市10年」が、英国のウイスキー専門誌「ウイスキーマガジン」による世界的なウイスキーテイスティング大会「BEST OF THE BEST」で、世界最高得点を獲得したのである。ひとりの青年が、単身スコットランドに降り立ってから80年以上の歳月が流れていた。日本では、イミテーションウイスキーが主流だった時代に、世界に通用するウイスキーをつくることを夢見て、走りつづけた青年はいつしか「日本のウイスキーの父」と呼ばれ、そして彼の夢はついに現実になった。どんな困難にも負けず、強い信念でウイスキーをつくりつづけた情熱は、熟成の時を経て、ついに世界一のウイスキーをつくりあげたのである。ウイスキーを愛する人々が感嘆するウイスキーをつくれたこと。それが、政孝の意志を受け継いだつくり手たちにとって、何よりうれしいことだった。

つくり手は未来にすべてを託し、ブレンダーは過去のつくり手に感謝する。竹鶴ピュアモルト TAKETSURU PURE MALT 2000,pure malt whisky 2006年に「竹鶴21年ピュアモルト」がISC(インターナショナル・スピリッツ・チャレンジ)で金賞を受賞してから、9年余り。竹鶴ブランドは、国際的な品評会で数々の栄誉に輝いてきた。ワールド・ウイスキー・アワード(WWA)においては計7回もの世界最高賞を受賞。1ブランドがこれほど多くの世界一を獲得するのは、WWA史上初である※。“TAKETSURU”はまさに「日本のウイスキーの父」の名を冠するにふさわしい、ジャパニーズウイスキーの価値を高める存在となった。竹鶴政孝から受け継がれ、進化を遂げたブレンド技術がつくりあげる、ピュアモルトならではの奥行きと厚み。モルトの深いコクとまろやかな味わいの融合を基調としつつ、エイジングごとに異なる個性を備える。竹鶴政孝が描いた、大いなる夢が香るウイスキーである。※2015年6月現在

つくり手は未来にすべてを託し、ブレンダーは過去のつくり手に感謝する。

モルト原酒の夢の共演。ピュアモルトウイスキーとは、複数の蒸溜所のモルトをヴァッティングしてつくるウイスキーである。それぞれの蒸溜所でしかつくれない個性的なモルトを活かし、さまざまな味わいを生み出せるのが特徴である。個性の強い原酒を持つニッカウヰスキーが、その財産を活かしてつくりあげた「竹鶴ピュアモルト」。力強く重厚なモルト原酒と、やわらかで華やかなモルト原酒を重ね合わせ、新しい深さと厚みを生み出した。ウイスキーを愛する人にとっての夢のコラボレーションであった。香り高く飲みやすい、豊かな味わいを実現させたのは、政孝亡き後も守られつづけたブレンド技術や経験と、政孝の魂を受け継いだブレンダーたちの情熱。夢の共演にふさわしいウイスキーが、ここに完成した。

つくり手は未来にすべてを託し、ブレンダーは過去のつくり手に感謝する。

「竹鶴」の名にふさわしいウイスキーを。ブレンドは、ウイスキーに命を吹き込むことである。竹鶴政孝は、ウイスキーづくりにおけるブレンドの重要性を誰よりも知り、それを実践してきた。そして、スコットランドで学んできたブレンドの技術を、日本のブレンダーたちに徹底的に叩き込んでいった。本物を追いつづけながら、ウイスキーの可能性を広げ、常に新しいものへ挑む。「竹鶴」の名にふさわしいウイスキーを。そして、そのウイスキーでウイスキーを愛する人々を驚かせたい。「竹鶴ピュアモルト」で世界に挑戦すること。それは、ニッカウヰスキーのつくり手たちにとって、ウイスキーの本場スコットランドへの感謝のしるしであり、本物のウイスキーの素晴らしさを教えてくれた政孝への恩返しなのである。

飽くなきウイスキーへの探究心。カフェグレーン COFFEY GRAIN 2013,grain whisky カフェモルト COFFEY MALT 2014,grain whisky ニッカウヰスキーは世界に多くのファンを持つ。特にヨーロッパで人気が高く、カフェグレーンとカフェモルトは日本に先がけ、欧州で発売された。どちらも、世界でも稀少なカフェ式連続式蒸溜機でつくられたウイスキーである。甘く香ばしい香りと、軽やかでメロウな味わいのカフェグレーン。モルトの甘さと芳しさが際立つ、クリーミーな味わいのカフェモルト。グレーンの深さ、モルトの豊かさを味わい尽くすことができる。ふたつのウイスキーは共に、2015年ISC(インターナショナル・スピリッツ・チャレンジ)金賞に輝いた。カフェグレーンは2013年につづく受賞である。国境を超え、ウイスキーを愛する人たちに評価され、愛される。その喜びは常に、おいしさへの強いこだわりによってもたらされるのだ。

飽くなきウイスキーへの探究心。カフェ式連続式蒸溜機

グレーンウイスキーへのこだわり。政孝の追い求めるウイスキーに欠かせないもの。それが、グレーンウイスキーであった。現在使われている連続式蒸溜機は、「カフェ式連続式蒸溜機」と呼ばれる。世界でも稀少なこの蒸溜機が誕生したのは1826年のことだった。導入当時でも既に極めて旧式だったが、それゆえにこの蒸溜機でつくった原酒には若干の雑味成分が残る。だがそれは同時に、原料由来の豊かな香りや成分を残すことができるということでもあった。ブレンデッドウイスキーにこだわる政孝にとって、味わいのバランスを決めるグレーンウイスキーは非常に重要だったのだ。このカフェ式連続式蒸溜機でつくられたグレーン原酒をニッカウヰスキーでは、「カフェグレーン」と呼んでいる。ここでつくられたカフェグレーンは、その後、多彩で奥行きのあるニッカウヰスキーならではのブレンデッドウイスキーをいくつも生み出していく。まさに、ニッカウヰスキーの宝物なのである。

飽くなきウイスキーへの探究心。

ウイスキーの新しい楽しみ方の提案。通常はモルトウイスキーとのブレンドに使われるグレーンウイスキーを、それだけで発売する。この発想ができたのは、なによりもニッカウヰスキーがグレーンウイスキーに強いこだわりと自信があったからである。カフェ式連続式蒸溜機ならではの、香味や味わいの成分が多く残った原酒は、熟成させることで、原料由来の甘さをしっかりと残し、ふくよかな余韻を持つグレーンウイスキーになる。このグレーンウイスキーのおいしさをぜひそのまま味わってもらいたい。その強い想いが生んだウイスキー、それが「カフェグレーン」である。そのカフェ式連続式蒸溜機で、モルトを原料に使ったグレーンウイスキーをつくるという発想は、ニッカウヰスキーの開発者たちのウイスキーへの飽くなき探究心と、培ってきた技術力の賜物であろう。麦芽本来の甘さや香ばしさに、グレーンウイスキー特有の軽くスムースな口当たりを併せ持つ味わいは、通常のモルトウイスキーとは違った、新しい味わいのウイスキーである「カフェモルト」を生み出した。

世界が、私たちの挑戦を待っている。ザ・ニッカ THE NIKKA 2014,blended whisky ニッカウヰスキー創業80周年の節目に、世に送り出したブレンデッドウイスキー。ニッカウヰスキーの新しい挑戦であると共に、ブレンデッドこそウイスキーの醍醐味と信じた、竹鶴政孝の志を継ぐ存在でもある。ブレンダーたちは、貯蔵庫で目覚めの時を待つモルト原酒やグレーン原酒をはじめ、無限とも言える選択肢の中から原酒を選び出し、組み合わせ、新しいウイスキーを紡ぎあげていった。モルトのしっかりした熟成感と、とろりとしたメロウなコク。甘く豊かな芳香の中に微かに感じるスパイス、心地よくつづく余韻。その美しいバランスには、驚きがある。ブレンドとは、ただ調和させるのではなく、異なる個性の出逢いによって想像を超えた新しいものを創造する作業だ。先人たちが残した貴重な資産を活かし、未知の可能性に挑み、自らの手で未来をひらく。ウイスキーづくりという挑戦は、終わることなくつづいていく。

世界が、私たちの挑戦を待っている。

ウイスキーの新しい可能性を。ニッカウヰスキーが誕生してから80余年。イミテーションウイスキーが主流だった日本のウイスキー文化は、多くの人が本格的なウイスキーを楽しむまでに成熟した。そして、今ほど、多くの人たちがもっと深くウイスキーを知りたい、楽しみたいと思う時代はないのではないだろうか。常に挑戦しつづけたニッカだからこそ、この時代にふさわしい、新しい感覚のウイスキーをつくることができるのではないか。ニッカには、世界に誇れるモルト原酒とカフェグレーンがある。さまざまな原酒の中から最適なものを選び、まとめあげる熟練のブレンダーがいる。そして何より、政孝の魂を受け継いだ、さまざまなつくり手たちがいる。ニッカウヰスキーが持ちうる力のすべてを注ぎ込むことで、ウイスキーがまたひとつ、新たな可能性をひらいた。「THE NIKKA 12年」の誕生である。

世界が、私たちの挑戦を待っている。

自由の味は、深い。政孝から受け継がれる卓越したブレンドの技術。それは、「THE NIKKA 12年」でも存分に発揮されている。無限の可能性から切り拓く、ブレンダーたちの新しいウイスキーへの挑戦。それは、重厚で力強く、ピートの香り立つ個性的な余市モルトと、華やかでフルーティーな宮城峡モルトを、甘くまろやかなカフェグレーンが、ふんわりと包み込んだ。長い熟成の時を経て生まれるブレンデッドウイスキーを、重なりをテーマにしたデザインで表現。大胆なカッティングを施したアシンメトリーなボトルは、つくり手たちの想いや技が溶け合い重なることをイメージし、伝統のエンブレムを誇らしく配した堂々とした佇まいは、ウイスキーの未来を切り拓く気概を込めている。これは、80年以上の歳月をかけて磨き、つくりあげたもののすべてを注ぎ込んだニッカウヰスキーの集大成。ブレンデッドだからこそ実現した、新しい自由の表現。本物のウイスキーを待つ、世界のウイスキーファンへ届ける渾身のウイスキーである。

NIKKA WHISKY ウイスキーが紡ぐ、9つの物語。
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