「 酒づくりのきびしさは、 父を通して私の血や肉になった 」
前列中央が竹鶴政孝
竹鶴政孝は1894年、広島県竹原町(現竹原市)の造り酒屋の三男として誕生。幼少期は酒蔵を遊び場とし、日本酒づくりの現場に触れながら育ちました。彼は後年、「酒づくりのきびしさは、父を通して私の血や肉になった」と述懐しています。
旧制中学時代は柔道部の主将を務め、大阪工高(現・大阪大学)醸造科へ進学。日本酒より洋酒に強い興味を抱いた政孝は、1916年、卒業を前に摂津酒造に入社します。1918年、摂津酒造は純国産ウイスキーの製造を計画。実績を重ね、優秀な技師として評価を高めていた政孝は社命を受け、単身、スコットランドへと渡りました。