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竹鶴政孝物語 第4章
【第四話】
品質主義が実を結ぶ時
運にもめぐまれた。出会いには心底、感謝せねばなるまい。本格ウイスキーづくりの夢を追っての、いばらの道であった。脳裏に恩人たちのあたたかい笑顔がうかんでくる。しゃにむに走り続けたわたしを支えてくれたリタ。そしてカーカンテロフのリタの家族。設立に協力を惜しまなかった株主。妥協することない日々をともに過ごした技術者諸君、労苦をわかちあった工場の人々。
それにも増して、ピートや草炭層をくぐって恵みを与えてくれた水、シベリアからの雪まじりの寒風や、適度な湿気をもたらしてくれた約束の地、余市。これらの自然との邂逅は何にもまして奇遇であった。
この夢の道・技の道は、遙か青春のエルギンやキャンベルタウンに通じている。
『ウイスキーづくりにトリックはない』
ウイスキーは、地球という有限の資産を借りてつくる、英知の液体である。〈生命の水〉ウイスキーがつくり続けられることをありがたいと思う。なぜならば、自然がまだ力を失っていないことを、雄弁に語っているからだ。
戦後の自由競争に戻ると、三級ウイスキーつまり粗悪なイミテーション・ウイスキーが世に出回り、飛ぶように売れた。
当時の三級ウイスキーの多くは、原酒の混合割り合いも低く、アルコールに色と香りを添加した程度のもので、はなはだしいのは、まったく原酒の入っていないものすらあった。
そんな中で経営は苦しかったが、政孝は自らの命脈を断つようなことには手をそめなかった。確固たる信念で、品質を第一に考える姿勢を決して崩そうとはしなかった。
融資先の銀行には、政孝の心からの説得で理解を得たが、国税庁初代長官・高橋衛の進言には応じざるを得なかった。
「竹鶴さん、あなたのウイスキーにかける夢や理想はわからんでもない。だが、今は三級ウイスキーの時代です。原酒を持たない業者だって、着々と市場を押さえているじゃないですか。監督官庁としても、あんたのとこに万一のことがあったら困ります」
「うーん。わしは、ウイスキーに似て非なるものを出すわけにはいかん」
身も細るほどに呻吟の日々が続いた。さりとて妙案があるわけでもなかった。
ややして、おもむろに
「明朝、社員全員をあつめてくれ」
まなじりを決して政孝は、研究室を出ていった。
慚愧にたえない心の中を、全社員をあつめて窮状を伝え、五パーセントという、限度いっぱいの三級ウイスキーを不本意ながら出すことを告げた。いつしか会場にすすり泣きの鳴咽が充ち、壇上の政孝もながれでる涙をぬぐおうともせず、社員ひとりひとりを睨み続けた。このとき全社員と政孝の心はひとつにつながった。北の大地に根付いたニッカの心の輪は、ふたたび堅固に結ばれた。
政孝は、たかぶりにまかせて力一杯テーブルをたたき、
「諸君、ニッカウヰスキーの誇りを堅持しようではないか。今まで本格ウイスキーをつくってきたことを、決して忘れないでいてほしい」
しばらく静寂が支配した。一九五十年初夏、余市川岸辺の葦はまだ茶色であった。
試練の寒風は吹きやむことなく続いた。だが、社員の結束は以前にも増して強くなり、原酒はさらに豊かに、もっと深く眠り続けることを約束された。
戦火をもくぐりぬけ、模造ウイスキー時代にも誇りを失うことなく守られた原酒たち。原酒にとって、これ以上の幸せがあろうか。
政孝の歩んだ挑戦の道も、多くの人々に鼓舞され励まされた軌跡の中に輝いている。決して平坦ではない道だったが、高潔な先達との出会いによって政孝はひとまわりも、ふたまわりも大きくなった。
リタも望郷の想いを胸に沈めながら、家族とのだんらんを進んでつくっていった。また、リタの生来の思いやりと洗練された合理主義が、竹鶴家の家風をかたちづくるほどに、政孝はまかせきっていた。
「マッサン、すこし休んだらどう」
「リタこそ働きづめじゃないか。すっかり手が荒れてしまったね」
政孝はリタの手を気遣ったが、リタにとっては政孝と過ごしたかけがえのない日々の証しに思えた。
ニッカウヰスキー余市工場では、石炭による直火型の蒸溜が今も続いている。政孝がスコットランドで学んだこの方法は、ウイスキーづくりの原点であり、営々と未来へ継承されていくべき遺産なのだ。
『ウイスキーづくりにトリックはない』
これは政孝の口ぐせであった。世の中とても、安ければ質などかまわないなどという風潮が、いつまでも続くわけがない。戦後の復興期を経て人々は落ち着きをとりもどし、ウイスキー本来の良さを求めるようになってきた。
ウイスキーづくりの工程は単純であるだけに、一つひとつの作業は繊細かつ、入念でなくてはならない。そして、蒸溜後は樽に入れてそれから先は、自然の手にゆだねられるのだ。
技術者のゆたかな経験と愛情が、材料とじっくり対話する。政孝はじめ技術陣たちは、戦中・戦後の苦しい時代にも、もとめて品質第一主義をつらぬいてきた。
「信念を曲げずに前進する」それが好意をよせてくださった人々に報いる私の道だと信じている」
政孝の自負と誇りをよりどころに、今もニッカはこの道を歩み続けている。
政孝が歩んできた道は、愚直なまでにまっすぐな道である。日本の本格ウイスキーの歴史に、太くあざやかな一筋の痕跡を残してあまりある。ウイスキーに抱き続けた夢と愛、ウイスキーに鍛えられた心、そして切り開かれた道……。
今、政孝とリタは余市をみおろす美園の丘にねむっている。二人の名前と〈IN LOVING MEMORY OF RITA TAKETSURU〉の英文が刻まれている墓石は、雪を冠りながら工場を見守っている。