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No.07 竹鶴政孝を支えた、リタの手料理。

異国・日本で、日本人になりきろうとしたリタ。「日本語を覚えたい」というリタに、竹鶴政孝は「日本語より日本料理を習ったらどうだ。一人前に日本料理が作れたら立派な日本人だ」と答えたといいます。

政孝が晩酌に日本酒を好んだため、リタはそれに合うおつまみ、和食を一生懸命、勉強しました。政孝の好物である沢庵づくり。毎年9月から樽を洗い、1年分350本以上の大根を干し、必ず11月5日に漬け始めました。すぐ食べるものと翌夏までもたせるものとでは、塩加減も変えました。

そして、政孝も「最高」と評したイカの塩辛。リタ手製の塩辛は、イカの切り方を工夫し、それによって繊維が切れて歯に残らなかったといいます。また、どんなに冷たくても「人肌の温度が塩辛をおいしくする」と、毎日素手でかき混ぜていました。その他にも、生のナマコを器用にさばいて酢の物などもつくりました。

一方、英国料理はもともとの大得意。政孝が留守の際は、息子の威たちともに洋食を楽しみました。威は、「金曜の夜はローストビーフが決まりでしたね。スコッチブロスという大麦や野菜が入ったスコットランドの伝統的なスープや、クリスマスのプディングケーキなど、何でもおいしかったなあ」と回想しています。

固くなったパンは缶に入れて保管し、お菓子作りに。威によれば「パンを粉にしてバターとマーマレードを加えて作ったゴールデンプディングは、色が綺麗で、とてもおいしかった」とのこと。ローストビーフの残りは捨てずに、サイコロ状に切り、上にマッシュポテトを乗せ、オーブンで焼いてシェパードパイにしました。

リタにとって、何でも一番おいしい状態で食卓に出すことが喜び。じゃがいもは蒸かしたてで粉のふいたものを出し、毎日、できたての温かい弁当を工場に届けました。そんなリタの愛、努力とこだわりが、竹鶴政孝たちを支えていたのです。

戸外で食事をする政孝とリタ
クリスマスプディング